1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念祝賀会に参加するの巻
1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念祝賀会に日本オリエンテーリング協会の理事として参加した。
皇太子さまご臨席、安倍首相のご挨拶、升添東京都知事のご挨拶など華やかな会であった。東京オリンピックに参加したアスリートを国内はもちろん、海外からもお招きしている
グローバルなコミュニケーションの促進を標榜するアークコミュニケーションズの代表としては、金メダル第一号の三宅選手と記念写真を撮るよりこっちかな・・・・と、後ろ髪ひかれながら日本語を話さない方々のグループへ突進。
最初にお話ししたのが、総合馬術で金メダルをとったMAURO CHECCOLI。イタリア人です。
さて、こういう場でいつも感じるのは、ボキャブラリーが全然足りないこと、いや、素養が足りないというべきか。
ビジネス英語ってコアな話題はだいたい決まっているし、専門分野以外は意外にボキャブラリーは少なくて済む。
陸上とかバレーボールとか私の馴染みの深い競技の選手だったらいいなぁ。。。。
という思惑はもろくもはずれ、馬術かぁ。う~ん、馬術のことなんて全然話せないぞ。(これはたとえ日本語でも同じだが、母国語だとごまかしがきく)
困った時には自分のことでも話すかと思ったのだが・・・
ん?オリエンテーリングのことを英語で話すのは結構大変だ!
実は今まであまりそういう場面に出くわしたことはないのだ。
が、幸運なことに、なんと彼はイタリアのオリエンテーリング協会の会長をなさっていたこともあり、よくご存じであった。
1960年代はアマチュアリズム全盛で、Checcoli氏もエンジニアとして働きながら、馬術の練習を積んだそうだ。英雄になってからも、エンジニアとして働きながら、様々な団体の長として普及活動をなさっていたのだ。
凄い!
さぁ、じゃあ次にあっちの体がごつい男性の集団に突撃・・・・
ハンガリーのラグビーチームの選手団であった。
しかし、英語があまり通じない。
次から次へとニコニコするだけのご挨拶になってしまった。。。。(ドイツ語なら通じるのかもなぁ、と思いつつもドイツ語を話す勇気はなかった)
最後に突入したグループはいかにも紳士~っといういで立ちのグループ。彼らの英語を聞き洩らさないようにと全神経を集中させていたのだが・・・・
聞きとったことはすべて冗談で、英語が母国語のイギリス紳士たちには、単にからかわれてしまったのであった(笑)
来る2020東京オリンピック。息子は12才になっている。
トップアスリートの競技を観戦することは出来るかな?
日本人として、海外からの訪問客をおもてなし出来るかな?