人生を刺激的に変える「40代人生リセット」
ちょっと人生をリセットしてみようか――。
そんな風に考えたことはないだろうか。人生あるいは仕事がうまくいっていても、そうでなくても、ちょっと立ち止まってこれまでの生き方を振り返り「さて、これからどんな道を進もうか」と考えてみる。
このまま安全で確実な同じ道を進むべきか。
それとも、先は見えないけど刺激的な道を選んでみようか。
もっとも身近な例でいえば転職や起業、引っ越しや離婚なども一種のリセットだろう。新しい何かを得るために古い何かを捨てること、いわば‶精神的な脱皮〟のようなものがリセットであり、人生の新陳代謝を促すためにはときに必要な行為だと思う。
小説家になろう、と思ったワケ
ボクの本業はマーケティングのコンサルタント。プロモーションやブランディングなど、十数年に渡って様々な企業のマーケティングを支援してきた。自分のアドバイスによって企業が生まれ変わるのは実にやりがいがあり、刺激的でもある。
ところが、ひょんなことから40歳のときにビジネス書を出版し、またいくつかの雑誌に連載を抱えるようになり、いつのまにか執筆業という肩書が加わることになった。
初めて会う人に「〇〇の連載読んでますよ」と言われることもしばし。そこから話に花が咲き、ビジネスがグッと前進することも多い。クライアントを訪問してアドバイスをするコンサル業は少人数相手の商売であり、それとは異なるダイナミックさや面白さが執筆業にはあった。元々文章を書くのは好きだったから、刺激的な仕事が1つ増えたわけだ。
ただ、書き始めるといろいろ見えてくることもある。
例えば、ビジネス書は作品でなく‶商品〟と呼ぶ方が近い。一冊のボリュームは相当にあるから、自分が伝えたいことは存分に書ける。ただ「小学生でも分かるように書いてください」と編集者は言う。
ビジネス書はあくまで「読者が成功を掴むためのヒント」であり、読者に伝わらなければ意味がない。もっともな理由だが何だか足枷をはめられた感じで、書いているとやや味気ない。
一方、雑誌の連載はけっこう自由に書ける。毎月好きなテーマを選び、どれだけ読者を喜ばせることができるかが勝負――。まさに‶作品〟なのだが文字数は限られている。ボクの場合、ファッション誌と経済誌では2ページという贅沢なスペースをもらっていたけど、それでも足りない。
「自由に、そして思う存分に書きたい」
そんなとき、ちょうどいい話が舞い込んできた。
経済誌の連載の評判がよく書籍化したいというもので、3冊目の書籍となる。「ビジネス小説」として書いていたため、大幅に加筆してストーリーを追加すればけっこう立派な小説になるはずで「自由に思う存分に書く」にはうってつけの案件だった。
担当編集者とのウマは非常によかった。「これ、売れますよ」「コミカライズの話なんかもチラッと出てますよ」など、ページを重ねていくたびに面白くなる実感が沸き、200ページものの180ページを書き終え、ついに残りは最終章を残すのみというところまできた。
ところが、まさかの事態。雑誌の休刊――。
本来、ボクの書籍とは別の問題だが「雑誌連載の書籍化」といった経緯もあり、ほぼ完成していた作品は発売されることなく〝幻の書籍〟となってしまった......。販売価格・発行部数まで決まりながら、一方的に約束を反故にするとはまったく有り得ない話である。
ついでにいえば連載人気にあやかりスピンオフ作品も決定しており、すでに4本目の新連載も書き始めていた。これも、雑誌の休刊とともに消えた。
フリーランスの長い休日
出版社への恨み節はさておき。
ちょっと人生をリセットしてみようか――。
ふと、そんな考えが浮かんだのは、幻のビジネス小説の執筆により「自由に、思う存分に書くこと」にすっかり魅了されていたからだった。本物の小説を書きたい。仮想の世界を描いてみたい――。いわゆる〝文学〟に興味が向いていた。
「40代半ばで小説家を目指すって、どうなん?」
という不安はないわけではなく、ただ、何かに集中して取り組むなら40代半ばがラストチャンスという予感が漠然とあった。そう思い始めると止まらず、そのとき来ていたビジネス書の出版オファーを断り、コンサルのオファーも断り、覚悟を決めた。
「あのさぁ、1年くらいコンサル業を休もうと思うんだけど......」と奥さんに言うと、
「......ふーん、で、何すんの?」
「小説の執筆に専念する」
「ふーん、別にいんじゃない?」という呑気な返事が返ってきた。
練習がてら短編を2本書き、それから、ずっと書こうと温めていた長編に取り組んだ。付き合いのある出版社・編集者はみな文学と無縁のため一般の文学賞に応募することにしたのだが、全然かすりもしない。
何が敗因なのか――。そこで初めて「小説の書き方」という本を幾つか読んでみて、まったく見当違いをしていることに気づいた。いくら小説が自由とはいえ最低限の決まり事があるらしく、どうやらボクはそこから逸脱して書いていたようだ。原因が分かれば対策も立てやすい。
小説を書くコツをつかんだのか、一気に筆は早くなり、ストーリーも面白いように膨らんだ。より可能性を広げるため純文、エンタメ、時代小説などジャンルを分けて3つの長編を完成させた。やはり創作活動はツラく、長く、たまに気が遠くなるのだが、そんな時間すら楽しく幸せで「ああ、これがしたかったんだ」とつくづく実感した。
やはりリセットして正解。そう思った。
40代人生リセットで気づいたこと
どうやら自分は文学に向いていない――。
という‶事実〟に気づいたのは、一番の自信作が落ちたときだった。それなりの自信と展望があったからこそ休業してまで臨んだというのに。落胆といったらなく、十日ほど呆然としていた。同時に、休業により失った時間や得られるはずだった収入などをぼんやり考えた。
ただ、不思議なほど後悔はなかった。それどころか、しばらくすると妙に晴れ晴れとした気分で満たされた。刺激的な道を選ばなかったことより、選んだこと自体に納得し、集中してやりきった充実感も残った。
そしてもう1つ、思いがけないメリットもあった。完全に休業することで、はからずも「自分の仕事を見つめ直すいい機会」になった。
会社勤めのビジネスマンと異なり、フリーランスは基本的に案件ごとに働く。ボクの場合、長い案件で2~3年とか7~8年、短いものだと1カ月や半年で、仕事内容はファッションサイトの立ち上げだったり新規事業のプロデュースだったり、その時々で変わる。
新年度の区切りはないし、上司に評定される機会もない。
そんな性質もあり、フリーランスとして独立してから十数年というもの「自分のビジネスの本質は何か?」ということを振り返ることなく進んできた。また、仕事も不思議とどこかから湧いて出てきたので、その必要性もなかった。
ところが、さすがに完全休業するとクライアント探しなどを一からやり直す必要がある。そこで自分のビジネスを説明する営業ツールを作らねばならず、最初に手を付けたのがホームページの作成であり、これがいい棚卸しとなった。
「マーケティングのコンサルタントをやっています......」
何千回と唱え続けてきたこのフレーズ。自分のウリは、どんな企業どんな業界にも対応できる「幅広さ」だと思っていた。ところが、一体どんな仕事をしてきたのかと振り返ると、バラバラのようでありながら実は共通性があった。
ブランディングがうまくいっていない企業の「戦略を立て直し」たり、集客に悩む企業の「業務フローを立て直し」たり、マーケティング講義を通して「社員の意識を立て直し」たり。
つまり、マーケティングを新たに導入するのでなく‶マーケティングを立て直す〟ことを専門に手掛けていることに気づいた。
それはもっぱら「マーケティングの基本が分からない」「何から始めればいいか迷っている」という企業の声に応えてきた結果であり、そこで培ったノウハウは〝マーケティングの基本を分かりやすく伝える〟ことだった。
さて、AIやらMAやら戦術や技術の進化が著しい昨今のビジネス。ただし「いかに商品・サービスを売るか」というマーケティング戦略に限っていえば、むしろ退化しているように映る。
時代が進んだのはいいがマーケティングの基本が不十分なため「どう対応すべきか」「何が効果的な施策なのか」に迷っているのだ。
そんな時代だからこそ、いよいよ「マーケティングを立て直したい」というニーズは増えることだろう。40代での人生リセットは、自分が想像していなかった大きな気づきをもたらしてくれた。
そして、もうひとつ気づいたのは「書くことは好き」という単純なことだった。
マーケティングを立て直すコツ。雑誌に載せていない裏話。「東電に損害賠償を請求する」など途中で止めてしまったブログ――。書きたいネタは山ほどあるので、そんなこんなの話をこれから定期的に書いていこうと思う。
人生100年時代である。40代といえば、人生の折り返しに向けたスタート地点とも言えなくない。休業や休職という極端なケースはさておき、ちょっと立ち止まって人生の後半に想いを巡らせてみるのも悪くないと思う。
ちょっと人生をリセットしてみようか――。
(荒木NEWS CONSULTING)
マーケティングを立て直す専門のコンサルティングです。