【ニッポン農業考1】 踊らされる人々は、やがて、踊ることすらできなくなる
原発近くの各県で野菜に関する風評被害が深刻化している。過去に何度も繰り返されてきた過ちだが、今回は状況がまったく異なることに気づいている冷静な消費者が、果たしてどれほどいるのだろうか・・・。私は都内でビジネスコンサルタント業を営みながら、その一方で、実際に畑で鍬を持って働く現役農家でもある。そんな特殊な立場から、今回の風評被害を考察する。
"かつてない事態"には、誰も正当に対処できない
風評被害でもっとも記憶に新しいのは、ダイオキシンに汚染されたとの報道により被害が拡大した首都圏のほうれん草問題である。このケースでは名前を挙げられた地域を発端に風評が広まり、その後全県に拡大した。被害地域が非常に『局所的』であり、野菜の供給量に与える『影響が小さく』、そして何より『原因が明確であった』ことでやがて沈静化した。
しかし原発事故に絡む今回の風評被害はまったく質を異にする。
1)広範囲な地域、またがる複数品目
出荷停止の措置が取られた福島・茨城などの複数県に加え、その周囲に位置する埼玉や千葉にも風評被害が広まりつつあることに、今回の事態の特殊性を知ることができる。出荷停止の対象外であるはずの野菜にも廃棄、買い控えなどの悪影響が及んでいる。国土の面積比で考えてもかなり広大である。
2)襲われたのは首都圏の一大生産地
風評被害に見舞われている各県は、もともと首都圏に多くの野菜を供給してくれる一大生産地という事実を忘れてはいけない。およそ3700万とも言われる首都圏の食卓を陰で支えてきた産地を襲っている悪夢、その影響は計り知れない。これから野菜の需給バランスが大きく崩れる事態が予想される。
3)原因は明確だが、対処法が未定
今回の最大の問題は放射性物質という"未知なるモノ"であること。風評被害の原因は誰もが知っているのだが、同時に誰も「正しき対処法」や「明確な未来図」を示すことができないでいる。マスコミは浮き足立ち、その道のオーソリティーの見解もすべて中途半端、誰もが明言を避けたがる姿勢を見るにつれ、消費者の迷いと不安は増殖してしまう。
今回の風評被害はかなり特殊であり、これまでにない深刻さを孕んでおり、相当に長期化すると考えた方がよい。はっきりいえば解決策がないのである・・・。
風評被害は誰のせい?
「ただちに健康被害をあたえるものではない・・・」と言いながら出荷停止をし、該当品目の野菜は摂取を自粛するように呼びかけながら、風評被害はイケマセン、冷静にと呼びかける国。風評被害の発生は、理論上矛盾している国のせいだろうか?
こんなセンシティブな時代、マスコミが風評被害を大々的に報じれば、人々はより着目するのは当然である。風評被害の拡大には、実はそれを封じ込めようとするマスコミ自身が皮肉にも加担してしまっているという側面もある。それではマスコミのせいか?
風評被害の出ている地域の野菜はすべて敬遠したい・・・過度な安全志向・消費者心理が、レストランやスーパーといった小売サイドの"過剰防衛"を引き出し、ひいては卸機能を担うべきJAの早急な安全策・出荷自粛などを誘発している事実も見逃せない。冷静に判断することのできない消費者のせいだろうか?
責任の所在を明らかにすることは困難であり、そこに意味はない。原因を作り出したのは東電という事実関係がはっきりしているのみで、一度火がつくとなかなか消えないメカニズムにこそ、風評被害の問題点がある。事態を重くみた自治体が動き出してはいるが、効果的な解決策をみつけることはまず難しいだろう。なぜなら、どこを潰せば収まるのか、そのポイントが分からないからだ。
ここで風評被害がなぜ繰り返されるのかという根本的な問題を考える必要がある。そこで重要な役割を担うのが消費者である。
野菜に関する<圧倒的な知識の差>が、誤解や悲劇を生みだす
◆生産者は野菜を「作るだけ」
◆販売者は野菜を「売るだけ」
◆消費者は野菜を「食べるだけ」
野菜の流通を単純化すれば作る⇒売る⇒食べるとなる。このプロセスで問題なのは「生産者」「販売者」「消費者」という3つのプレーヤーの<野菜に関する知識>に相当の差があることだ。これが様々な誤解や不都合を生み出している。
「生産者」は野菜を作ることにのみ励み、自ら農業に関する情報発信をしてこなかった歴史がある。一般的にはJAに卸して終わりの商売のため、消費者が野菜に何を求めているのかを考えず、普通なら当たり前の商品説明もしてこなかった。
「販売者」は○○産の小松菜といった具合にラベルでしか判断することができず、並べて売っては補充するの繰り返し。直接向き合う消費者に対して、何も説明していない。
「消費者」は国産=安全と思い込み、農薬を怖がり中国産を敬遠したり、地産地消が環境に良いと言ったり"自分で考えていない価値観"に縛られている。特に都市部に暮らす人々は大人も子どもも野菜に関する知識がほとんどない。
世の中に流通するさまざま商品・サービスにおいて<販売者と消費者の知識差が大きいものほど消費者は不利益を被る>ことになる。保険、不動産、銀行・・・専門用語を駆使し、説明責任を怠ってきた売り手優位の業界ほど、近年様々なトラブルが生じている。
大切なことは【消費者の学び】である。販売者に負けないよう、ある程度の知識を蓄えることが自分の身を守ることにつながる。野菜も同じこと、消費者にとって農業が売り手優位あるいは売り手不在の産業であると考えるなら、自分で勉強して備えれば良い。
今回の放射線問題は別として、もし仮に正しい野菜の知識があったなら、不必要な風評に惑わされることも少なく、被害はもっと小さくて済んだ可能性もある。私は2009年、友人と共同で「MAKUWAURI」という会員制の農園を立ち上げたが、当初からベースに置いている考えは"3者の知識差をなくす"ことであった。このため風評被害は最小限で済んでいる。
原発にも同じことが言えるのではなかろうか? 首都圏に暮らす人々で「もし放射性物質が漏れたなら・・・」と日ごろから勉強していた人は、まずいないだろう。私もそうだ。販売者=東電が説明してこなかったというのは後の祭り、不勉強であった我々消費者サイドにも問題があるように思える。
とある農家の話・・・
風評被害の震源地・茨城県で大規模農業に携わっている若い友人がいる。彼のお父さんが相当なやり手なのだ。従来の家族経営的な農業から脱皮して多くの従業員を雇い、不況の時代にも積極的な投資を行って規模を拡大している。販路も自ら確保し、ネゴシエーションに優れており、不安定になりがちなニッポン農業を安定的なビジネスに昇華させているひとりだ。
お父さんの横顔はいわゆる農家でなく、さながら野心あふれる経営者である。友人はその跡継ぎとしてマジメに、そして明確な将来ビジョンを持って農業に取り組んでいる。そんな彼に震災後に連絡をしたところ、同じ農家として"慰めようのない惨状"が彼の口から次々と語られた・・・。
彼の農業は水耕栽培がメインである。水耕栽培では工場のような巨大な施設のなかで土を使わず、外気にあまり触れることもない衛生的な環境のもと、減農薬で多くの野菜を栽培をしている。農業知識が豊富である食品メーカーなどにダイレクトに販売しているため、私個人的には、放射線問題にはあまり影響がないと思っていた。
「全部出荷停止ですよ・・・。出荷制限以外の野菜も拒否されてます。意味が分かりません・・・。」
私は言葉を失った。そして咄嗟に、想い出した。学校の体育館の数倍はあろうかという彼の巨大な施設を。そのなかに整然と並ぶ大量のキレイな野菜たちに感動すら覚えたことを。そんな施設が数棟建っているのだが、あの野菜たちがすべてダメなのか・・・。
これは風評被害が報道される前に聞いた話である。彼の話によれば周囲も同じ状況に陥っており、多くの農家が安全である野菜を大量に廃棄しており、呆然自失であるという。
消費者にはおよそ想像のつかない痛みである。数年前までの私がそうであったように。しかし生産者となった今、私はこんな苦しい話を正常な心持ちでは聞けない。なぜなら、この先に浮かぶであろう生産者のココロが理解できるからだ。そして、やはりというべきか、彼の口からは次のような言葉が出てきた。
「近所の農家さんもみんな、もう種を蒔かないって言ってます・・・。こんな状況で種を蒔けるわけないじゃないすか・・・。」
当然である。誰も野菜を栽培しようとは思わないだろう。土壌汚染の影響もささやかれ始めている今、原発の行方が見通せない状況において、農家の悲嘆は想像を絶するものがある。最悪のケースを考えれば今後数年、いやそれ以上に、売り先が見つからないことが予想される。こうなると風評被害とは呼べない。
東北では多くの田畑が壊滅し、北関東では農家が野菜を作らないと言い始めている。その影響は今後明らかになってくるだろうが、野菜の「品薄・価格の高止まり」が続くことは想像に易い。
これから田植えシーズンを迎えるが、風評被害の土地で誰が田植えをしようと考えるだろうか? 米がなくなることもあり得る。
ニッポン農業に与えるインパクト
「私が作らなくても野菜は誰かが作ってくれる・・・」と思い込んでいる都会の消費者は多い。確かに農家の絶対数が減少してきているとはいえ、日々スーパーにはあり余るほどの野菜が並んでいる。一時的に高騰しても野菜が店頭から消えたことはかつてない。誰かが作っているからだ。
しかしニッポン農業の未来はそれほど甘くない。現在の農業の主要な担い手はおじいちゃん・おばあちゃんたちである。彼らは跡継ぎがないまま続々と引退を始めており、それに従い耕作放棄地が全国各地で増えている。では誰が作るのか?
近年の農業ブームにより若い人が就農しているではないか? という希望はここではほとんど意味をなさない。若者の新規就農は焼け石に水のような微々たるもので、将来の日本の農業を支えるだけのパワーには程遠い。どんどん輸入すればよいという意見も、難しい。すでに世界規模の食料争奪戦が始まっており、将来的には自国民の確保が優先されるのは目に見えている。
関西を一大産地にすれば? 農家の高齢化はどこも一緒、農地を確保したところで作る人はいない。ちなみに玉ネギは種を蒔いてから収穫するまでおよそ10か月、キャベツは半年もの期間を要し、野菜によって栽培期間が大きく異なる。しかも産地によってできる野菜とそうでないものがある。工業製品ではないので、なくなったらすぐに何処かで作ればいいというワケにはいかない。
農家の減少という危機的な状況に加わったのが、今回の震災である。
私はこのような危惧を抱いている。多くの高齢農家はもう農業を辞めてしまうんでないか・・・ということだ。放射線問題に終わりは見えず、土壌汚染の影響もはっきりしていない。 若い人ならいざ知らず、こんな不透明な状況において、高齢農家が再び鍬を握るだろうか? 握ってくれるだろうか?
私は決してペシミストではない。また原発の専門家でもないので、放射性物質が土壌や野菜に与える影響はよく分からない。ただし現役のビジネスコンサルタントとして、現役の農家として、冷静に事実を積み上げて考えると、近い将来スーパーの店頭から"野菜が消える日"がこないとは限らない。
水がなくなり、ガソリンがなくなり・・・
今回の震災により、不自由なく手に入ったモノが突然なくなった。ガソリンがなくなり、電気がなくなり、ついには水もなくなった。かつてない事態は、日本人にかつてない意識革命をもたらしつつある。先進国においては聞いたことのない異常事態である。
「風評に踊らされる人々は、 やがて、踊ることすらできなくなる。」
野菜がなくなれば、騒ぐこともできないのだ。
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100年に一度と言われるリーマンショックからわずか数年後、1000年に一度の大地震に襲われた日本。これまでのようなライフスタイルを、これからも続けられると考えることは、もはや困難である。ライフスタイルを再考する時期は、実は震災よりもっと前に訪れていた。
1900年代後半まで続いた「大量生産・大量消費」という文化はすでに終焉を迎えており、対応の遅れた企業は2000年代に入ってから本格的に苦しみ始めた。オーバーストア、マーケティングの修正、消費スタイルの見誤り・・・。一部の消費者が変わりつつあることに気付かなかった代償は大きい。
電力、ガソリン、水、野菜・・・今回日本人は多くの未知なる経験を味わい、それは今なお進行形である。5年後、10年後、日本が無事に復興していることを願いたい。
そのために必要なのは自分らしいライフスタイルを"今のうちに"考えておくこと、そうすれば自然に【消費者の学び】という発想に行きつくはずである。
(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)
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