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「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

【ワタクシの仕事術1】 人脈を作ろう! とは、思わない方がいい

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【豊富な人脈は強力な武器となる】・・・、ビジネスマンなら誰でも知っている原則。人脈を持っている人間とそうでない人間との間には、ビジネス上のパフォーマンスに雲泥の差が出る。もっと人脈があればな・・・と考える人は多いのだが、手に入れようと思って入手できるようなシロモノではない。人脈とは大変ナイーブで、流動的・運命的なみずもの、特殊な性質を理解しておく必要がある・・・。

残酷なほどシビアに現れる人脈のチカラ

人脈を「持っている人間」はいとも簡単に重要人物とのアポを取りつけ、お金の算段をつけ、必要あらば新たな人脈を引っ張り出してきては、自分の主導でプロジェクトを進めてしまう。

まるで剛腕な政治家のよう、目的までの最短ルートを瞬時に見つけ出し、最短の時間で結んでしまう。無駄な時間・コストをかけず、非建設的な意見を出したがる余計な人間を介在させないため、企画の鮮度は保たれたまま効果は最大限となる。

一方「持ってない人間」ではこうはいかない。同じシチュエーションに出くわした場合、まずアポが取れず、取れても決裁権のない平社員、出向いても相手にされず、先方に"おいしい話"も提供できず、プロジェクトはいっこうに進まない・・・。

仮に同等の仕事力を持っている場合、人脈の「ある・なし」は不公平なほどにビジネスのプロセスと成果の命運を分ける。まるで打ち出の小槌のようなチカラを秘める人脈。この差はどこからくるのだろうか?

私がもっとも敬愛する作家・開高健氏、彼の代表作のひとつ『輝ける闇』のなかに、永年私のココロを釘づけにしている一節がある。

「サイゴンには二種類の人間しかいない。ハヴズとハヴ・ナッツしかいない。」

「ハヴズ」と「ハヴ・ナッツ」・・・、英語で書けば「haves」と「have-nots」。金持ちと、貧乏人という意味である。持っている人間=ハヴズはどんどん富んでいき、反対にハヴ・ナッツにはまったく恩恵が回ってこない。何ともやりきれない社会の厳然たるルールである・・・。

この小説を読んだのは高校生のときだった。ハヴズとハヴ・ナッツ・・・これは主にお金の話、私はまだその真意など分からなかったが、このふたつの言葉にはもっと人生的に奥深い意味があると感じたのだ。持っている人間と、持っていない人間と。

人脈にもハヴズとハヴ・ナッツがあり、お金よりむしろ人脈にこそ、ハヴズとハヴ・ナッツが如実に反映されるのではないかと考えるようなったのが、20代後半だった。

運命的な出会いは突然に・・・

私は28歳で「荒木News Consulting」という個人事務所をつくり、独立した。ビジネスコンサルティングを始めるのはいいのだが、フリーランスの"生きる術"を知らず、有力な人脈のひとつも持っておらず、どうすればいいのか甚だ困惑した。つまり「仕事をどのように受注すればよいのか?」というハヴ・ナッツの切実な問題。

そんなとき"ひとりのオジサン"に出逢った。友人のそのまた友人から「株を買わないか?」という話が舞い込み、多少興味のあった私は詳しく話を聞きたいと告げると、現れたのは、そのまた友人にあたるオジサンだった。何の仕事をしているのかまったく正体不明、しかし妙な貫録というかオーラを漂わせており、でもあまり信用してはいけないなと思わせる、相当に怪しげなオジサンだった。

「君は何の仕事をしているんだい?」と初対面のオジサンに問われ、私は独立したてですがこんなことやあんなことをしていますと答えた。オジサンはじっと黙って私の話に耳を傾けた後、唐突に「ボクとしばらく付き合ってみないか?」と言った。それから怪しげなオジサンと私は頻繁に会うことになった。

オジサンはとんでもない人物だった! と気付くのにそう時間はかからなかった。雑誌に記事を書いたりミュージカルの脚本も手がけているというのでライター系の人かと思ったが、小売業の経営者の顧問的な仕事もしているので経営コンサル? と思いきやそれだけでもなく、商品開発的なプロデュースもこなしつつ、企画書を作っては無数のプロジェクトを進めているプランナーでもあり・・・。

仕事の幅の広さにも驚いたが、もっと驚いたのが彼の持つ<恐ろしき人脈>だった。マスコミから大企業から有名企業から、錚々たる名前の、しかも経営者クラスの人物名がずらずらと出てくるではないか・・・。オジサンはハヴズな人だった。

独立して間もなく、喉から手が出るほど人脈の欲しかった私は、オジサンについていこうと決めた。こんなスゴイ人物とはなかなか出会えないに違いない。一緒にいれば、いずれいろいろ紹介してくれるに違いないと、淡い期待を抱いたのだ。

人脈は簡単には手に入らない

オジサンは私にこのようなことを言った。「ボクも駆け出しの頃は上の世代の人の世話になった。今度はボクが世話をする番」だと。しかし、彼はなかなか仕事も人脈も紹介してくれなかった。駆け出しの私だったが、仕事の進め方や考え方についても何も教えてくれない。困った。

私は半年ほどオジサンの言う通りに動き、いつも安いバーで酒を飲みながら近況報告をした。「こんなビジネスあれば面白いな~」とオジサンが独り言をつぶやけば、酔っ払った帰りの電車内で必死に手帳にメモをとり、翌週には自分の考えをアイディアにして報告した。面白いと言われれば具体的な企画に落とし込み、何も言われなければ、また別のプランをひねり出す。

オジサンは具体的な指示をいっさい出さず、褒めもしないかわりに、ダメ出しもしない。良いのだか悪いのだか、さっぱり分からない。こんなことを半年ほど繰り返した。

その間もオジサンは壮大な仕事をしているようで、自分が進めているプロジェクトの内容などをいろいろと語るのだが、青臭い若造の私にはただただ凄い仕事をしている、としか理解できない。分かったのは「やはり人脈って強力なんだな~。ハヴズってすごい・・・。」ということくらい。半年間、特に具体的な仕事を任されているわけではないので、もちろんタダ働き。何の意味があるのだろうか・・・?

「ボクね、君をとある経営者に紹介しようと思うんだけど」

オジサンはある日、いつもの安いバーで突然に切り出した。ようやく待っていた"果実"が、私の目の前にポロリと落ちた瞬間であった。それは彼の口から頻繁に名前が挙がっていた経営者のひとりだった。

指定された日時・場所に出向くと、本当にその経営者がいた。フリーランスという立場、20代後半という年齢ではまず会えない人物だった。私はプレゼンし、一週間後、正式に契約が決まった。

「君を採用したのは、あの経営者だからこその"英断"だからね・・・。」

契約が決まった後、いつものバーでオジサンに諭されながら、私はそれは違うと思った。確かに英断ではあるが、それを最終的に決定づけたのは"オジサンの人脈のチカラ"である。

恐らく当時の私のビジネス力だけでは無理だった案件である。私のフィーもオジサンが決め、それはちょっと安めだったが、よほどのことがない限り永久契約という破格の条件も、やはり彼が決めた。ハヴズの影響力はどこまでも大きかった・・・。

人脈は「生き物」、そして「自分を映す鏡」

いざ仕事が決まると、オジサンと飲む機会は減った。「君の好きなように仕事をすれば良い」ということだったので、私は本当に好きなように動いた。相変わらずオジサンは何も指示を出さず、時おりヒントをくれる程度だった。もう独り立ちしていいということなのか? しかしそこから付き合い方が、また変わった。

たまに飲むとき、オジサンはさまざまな経営者の集まりに私を誘ってくれるようになった。自分の人脈の"見せてもいい部分"を、私に開放してくれるようになったのだ。これはチャンスと、私はいろいろ頑張ってみた。

「経営者の集まるバー」という存在を、そのとき初めて知った。経営者でなければ入店できないことはないが、暗黙のルールのような圧倒的な雰囲気が店を支配しており、とても独りで入れる感じはしない。見つけようにも見つけられない空間である。

いつもの安いバーで軽く飲みながら、オジサンが何やら示唆めいたビジネスの話を口にしてから、経営者バーへと移動する。すると、あらかじめ呼んでおいたのであろう、示唆めいたビジネスに関わる経営者がそこで待っている。

偶然会ったかのようにオジサンに紹介され、名刺交換をし、人脈を広げていく・・・。何ともスマートかつ合理的な手法に、私はたじろいだものだ。これが<ハヴズ流の付き合い方>なのか?

以来、そのような感じでいろいろと貴重な人脈をつないでもらったのだが、私は何の成果も残すことが出来なかった。当時の私には、貴重な人脈に相対できるほどのビジネス力がまだ備わっていなかった・・・。テーブルの片隅で、所在なく座っているだけだった。

【人脈は生き物】である。タイミングよく、貴重な人物に出逢えるかで、ほぼ決まる。出会う時期が少しズレるだけで人脈が死んでしまうこともある。

【人脈は自分を映す鏡】である。タイミングがピッタリ合っても、その時に自分がそれに相応しい経験やビジネス力を備えていないと、人脈はスルーしてしまう。

以来、十数年、フリーとして働いてきて感じたワタクシなりの人脈観は、下記のようなものである。

人脈の法則1 「追えば逃げるし、探しても見つからない」

私は「異業種交流会」というものが苦手である。一度だけ付き合いで顔を出したことがあるが、どうにも独特の雰囲気にムズムズしてしまう。たまたま出向いた会の質が悪かったのか、参加者の多くが「ハヴ・ナッツ」だった。みなが何かの果実を求めているのに、それをもたらす「ハヴズ」がおらず、ちぐはぐな会話や意味のない名刺交換がいたるところで行われる・・・。

人脈は追うべきではないし、探すべきではないと、私は痛感した。地道に自分を磨き、来るべき時に備える。

人脈の法則2 「量より質」

名刺を一万枚持っていても使わなければただのコレクションに過ぎない。最近はFBやツイッターがあたかも人脈探しに有効みたいな風潮があるが、私自身はこれらは"人脈"とは思っていない。

やたらとフォローしてはフォロワーの数を増やしたり、FBで"トモダチ"を増やしたりという行為が、どうも好きになれない。5000人のフォロワーよりも、500人のトモダチよりも、リアルな生活における本当に信頼できる5人の方が、人脈としては心強い。

確かにネットにおける無限の広がりは効率的で素晴らしく、大いなる可能性を秘めていることは無視できない。私も最近、誠ブログを通じて貴重な人物と出会えたのはまさにネットの賜物である。それでも量はむやみに追いたくないのは、オジサンから学んだことだった。

ひとりの強力な人脈が、数多くの人脈をひきつれてくる。

人脈の法則3 「ハヴズに集まり、ハヴ・ナッツには集まらない」

30代の前半を過ぎた頃からだろうか、オジサンのほかにいろいろなハヴズと知り合うようになったが、それはほとんど偶然だった。友人から紹介されたり、飲んでいる席でたまたま知り合いになったり、私が誰かを紹介したら逆にそこから紹介されたり・・・。

水が上から下に流れるがごとく、有用な情報や人脈の集まるトコロは自然に限定されてくるのが社会の成り立ちのようであり、その中心にいるのがハヴズという存在なのだ。

ハヴズにはいろんなタイプがいる。自分の人脈をある意味"戦略的に"使って広げる人もいれば、仕事のパフォーマンスのみで惹きつける人もいるし、何も考えていないのに勝手に集まってくる不思議な人もいる。

人脈はふと気付いたとき、知らぬ間に築いていたと実感するものである。

・・・・・・・・・・・

オジサンとは今でもたまに会う。何も教えてくれなかったが、私は彼から多くを学んだ。たぶん彼もそのつもりだったのだと思う。何も教えないことが、彼なりの教示だったのだ。

20代後半、オジサンの仕事の幅や広さに面食らった私。彼ほどのスケールには到底及ばないが、業界を無関係にマーケやコンサルをやっている現在の自分のスタイルは、やはり彼の影響をかなり受けた結果である。

オジサンが持っていた"目がくらむような人脈"という武器、こちらも彼の足もとには及ばないが、気付けば自然と貴重な人物が集まり、有意義な情報が集まるような立場に近づきつつあることを、ふと実感する自分がいる。

十数年を経てもなおオジサンは怪しげでパワフル、昔のまま私の前に立ちはだかる。そのたびに未熟な自分を痛感せざるを得ない。そんなオジサン、私にとっての師匠は、本当に偶然に出会った人脈である。

追いもせず、探しもせず、現れた。焦らず、すがらず、人脈を無理に頼らず、地道に仕事をしてきたことが良かったのだと、今にして思う。

人脈は、やった分だけ、後からついてくる・・・。

私がオジサンから学んだことは、もしかしたらビジネスの最も根本的な思想であったように思う。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

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