やりすぎた「チャリティー消費」には、毒が出る
日本人の風潮として"一気に盛り上がり、急速に冷めるコト"が多い。食べるラー油が品切れ続出、タイガーマスクが突然現れて世間を賑わせ、なぜか皇居を走ることが聖地化され・・・。いろいろとやりすぎはよくないのだが、ここ数年気になっているのが日本のやりすぎた販売戦略、名付けて『チャリティー消費』である。
日テレの愛は地球を救っているのか?
私が昔から嫌悪感を覚える番組がある。日テレのチャリティー番組である。毎年の夏の終わり、黄色いTシャツで突然"愛は地球を救う"と大勢のタレントが集まり、なぜかマラソンをし、感動的なドラマを流し、ひたすら一日中愛を訴える。
かなりの長寿番組となっているはずだ。物心ついた頃から、我が家ではこの番組を見ることが長い慣習となっていたが、幼いながらにいつも疑問に思っていた。「なぜ一日だけ助け合うの?」と。
高校生くらいになり、テレビのチャンネル権を持つようになるとまったく見なくなった。それどころか嫌悪感を抱くようになり、夏の終わりになると登場するコンビニの黄色い箱を眺めるたびに、何だか白々しい空虚感を感じるのは私だけなのだろうか・・・。
完全なる企業PRである。ふだん悪態をついている芸人が涙目になっては"素の自分"を魅せる。コンビニやスーパーは集客を期待する。スポンサーは社会貢献をしたつもりになり、それを見て感動する消費者は一瞬、ココロが優しくなれる・・・。
「チャリティー=善行」という盲目的な価値観に支配される夏の終わり、なかなか悪いコトができなくなる雰囲気となる。
やりすぎた一日である・・・。
野菜が似合わないタイガーマスク
昨年末、タイガーマスクが久々に現れた。リアル・タイガーマスクである。匿名で児童養護施設にランドセルを届けたことがきっかけで大ブームとなり、その後全国各地に同じような善行をする人々が現れた。メディアが積極的に報道したこともあり、人々の関心がいっせいにチャリティーに向いた。
「タイガーマスク運動」と名付けられ、識者はこうした活動が広まると嬉しいですね、などと微笑む。ブームは終わるものですよとは、誰も突っ込みを入れない。入れられない。なぜなら「チャリティー=善行」であり、表立って茶々を入れられない風潮が支配している。
児童養護施設にとっては嬉しい半面、恐らくこの異常事態を冷静に見ているのではなかろうか? これらの施設は遠い昔から不運な子供たちを引き受けて育てており、長いあいだ社会的な役割を担ってきた。突然に作られた施設ではない。
できれば欲しいモノを寄付した方が良い。それが本当の助けになる。朝起きたら大量の野菜が並んでいても、それは迷惑なだけでは? 本当に想うのであれば、施設にいる子供の数を聞き、欲しいもの・サービスを聞き、つまりはニーズを確認したうえでタイガーマスクとなるべきところだろう。
やりすぎた年末年始である・・・・。
寄付付き商品が流行しているが
ここ数年『寄付付き商品』がひとつのトレンドとなっている。何かを購入すれば、売り上げの一部がチャリティーに回されるという商品・売り方だ。ファッションから食品といったモノ系から、旅行やエステといったサービス系消費まで、ムーブメントは実に多くの分野に広がっている。
「チャリティー=善行」という購買行動は、奥ゆかしい日本人の消費者心理をくすぐる。どうせ同じものを買うなら、恵まれない国に寄付できる方が自分も嬉しいという発想である。ビジネスモデルとしては非常に優れており、世の中の商品がすべてそうなれば、もっと大きな効果が期待できる。
しかしブームになってしまったことで寄付付き商品の価値は棄損し始めている。雨後のタケノコのごとく多くの企業が飛び付いたため、チャリティーの目的に疑問を感じる企業が目立つ。
こうした商品が出始めた当初は、買った商品と支援先に明確な関連があり、この"つながり"こそが企業と消費者を結ぶコミュニケーションツールとして機能していた。
ところがブーム化に伴い関連性がまったく想像できないチャリティー商品が出始めたあたりから、様相がおかしくなってきた。エステを受けたら植林活動に寄付されるなど、無理やりな感じの商品が増えた。
本当に寄付されているのか? 自分の払った金額が支援になっているのか? この道筋を明確に示さないことには、企業のイメージアップ戦略はやがて行き詰ることは明白だ。
今の時代、寄付付き商品を販売すれば効果的なメディアフックとなり、安い費用でPRが期待できる・・・。しかしながら、安易に手を出せば、パブリシティーには毒が出る。
やりすぎた企業が続出している・・・。
効果的なチャリティー消費の成功事例としては「ボルヴィック」と「イオン」、2つのケースを挙げることができる。発想が地道かつ斬新であり、やりすぎてないところに好感が持てる。
ボルヴィックの企画が火をつけた
寄付付き商品ブームの起源はミネラルウォーター「ボルヴィック」の"1l for 10lキャンペーン"に見ることができる。水を1リットル買えば、水不足の国に寄付をします。ちょうどそれは10リットル分となりますという仕掛けだった。
水を買い、水を寄付するという明確なシステムが分かりやすい。自分が購入した10倍もの寄付ができるというインパクトに加え、"ワンリッター・フォー・テンリッター"という言葉の響きが心地よく消費者の胸に突き刺さった。企画の妙、秀逸なマーケティングとして歴史に名を残すプロジェクトである。
現在こうしたマーケティングはCRMと呼ばれている。「Cause Related Marketing」の頭文字を取ったもの、Causeとは大義といった意味を持つ。つまり何らかの意味や目的を伴う販売活動のようなイメージである。
伝統的なマーケティングにおいてCRMと言えばまず「Customer Relationship Management」を想起するのだが、最近はCSRを意識したチャリティーのCRMの方が目立っているが、こうした基礎を築いたのがボルヴィックと言える。
日本人の飽食ぶりをただしながら貧困国を支援する「TFT」という活動が広まりつつある。Table For Twoの略で、一回の食事をすることで20円が貧困国に寄付されるという発想である。
こちらは"食と食"というつながりにおけるチャリティー。ボルヴィック同様にポリシーが明確なうえ、「食品の廃棄ロス」「栄養バランスの偏在」といった<日本人の食の在り方>まで考えるきっかけを提供しており、素晴らしい試みとして注目である。TFTに賛同した企業が社員食堂に導入するなどの広がりを見せている。
水と水、食と食。わかりやすいつながりがチャリティー消費のポイントである。
イオンの"地味な戦略"に見る正しいアピールの仕方
スーパーなどを展開する「イオン」が2001年から行っている「幸せの黄色いレシートキャンペーン」は、地味ながら非常に賢いシステムを作っている。買い物をした際に必ず受け取るレシートを上手に利用した試みである。
イオンの店内には地域のボランティア団体の名前が書かれた箱が設置されている。買い物を終えた消費者は、自分が支援したいと思うボランティア団体を選んで箱にレシートを入れる。すると、レシート金額の1%がその団体に寄付されるという仕組みだ。
当時、私は書店のマーケティングの仕事をしており、いかに集客するかに関して日々新たなアイディアを練っていた。そこでピン! と閃いたのが、イオンのレシートキャンペーンであった。普段はゴミ箱直行のはずの"レシートに価値"が与えられ、しかも自分の意志により"支援先を選択できる"ところに、新しいチャリティー消費の可能性を感じたのだ。
老若男女が訪れる書店。一等地に位置することの多い書店。当たり前だが、書店は"本を売る場所"という認識が強い。しかし、顧客属性の広さや好条件の立地を考えれば<媒体価値>が非常に高いことに注目すべきなのだ。書店という業界は。本屋が本だけ売っていればよい時代は、とっくに終わっているのである・・・。
私のなかではイオンのレシートキャンペーンをヒントに書店の店頭を活性化させるアイディアが閃いた。それらをまとめてクライアントにレポートとして提出したが、ぽしゃった・・・。もう10年も前のことだろうか。
その後のボルヴィックをきっかけとした寄付付き商品ブームが来るに至り、先駆けて仕掛けていれば息の長い、価値のある企画になったはずなのにと、悔やまれる。
地域密着型の企業が、本当の意味で地域を支援する。これもチャリティー消費のポイントと言える。
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日テレの社員が毎日黄色いTシャツで働いていれば、私は大いにその企業理念に賛同したい。民間企業でも国でも「タイガーマスク制度」をきちんと作り、恒常的・日常的に養護施設をサポートするシステムができるなら、もっと多くの善意を呼び込めるに違いない。
「チャリティー=善行」がさまざまなところで見られ始める今、寄付に馴染みないニッポンの国民性を考えれば、悪いことではない。しかしやりすぎれば毒が出るし、効果は薄れるし、消費者も飽きる。何のため、誰のため、そして合理性と永続性というテーマを、そろそろ考える時期にきている。
(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)
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