農村で笑う
『農村は閉鎖的』と聞いていた。『農家はみな寡黙でマジメ』と思い込んでいた。『農業は辛い』と信じ込んでいた・・・。しかし、それは正反対あるいは誤解だったと気付いたとき、未知なる農業は現代人にとってのワンダフルワールドとなる。これを読めば、きっと農家が身近な存在になるはずだ。そして、少し羨ましくなる。
農家のオッチャン・オバチャンは単にシャイなだけ
都会人は農村ではよそ者扱いされる。だからまずは身なりを農家風にし、多弁を避ける。地味でマジメな印象を持たれることが好印象への第一歩・・・。そんな話を先日「農業はファッションから始まる・・・」に書いた。私はあまりにもオシャベリでややフザけているから、特に要注意なのだ。そして私がいざ農業を始めるというまさに初日、近隣農家へのあいさつ回りで「いっさい私に目を合わせてくれない」という嫌~な経験を味わった。やはり農村は閉鎖的なんだ・・・。これから先が思いやられ、大きな不安を抱え込んだ。目を合わせてくれないとは、人間のコミュニケーションにおいては徹底的な屈辱である。さて、あれから1年半が経過したが、その後どうなったのかというと・・・無茶苦茶仲良しになっていた! なんてことはなかった。私の杞憂に過ぎなかった。
特に私の畑の南側に隣接する農家は"頑固で怖くてクセがある"と聞いていたのだが、むしろこの"南のオッチャン"が今では一番の仲良しになった。南のオッチャンは毎日顔を見せては冗談を言いにやってくる。温かな笑顔とともに。いろいろ気も使ってくれ、3時のおやつをくれたり、自宅で飼っている貴重な鳥骨鶏の卵をくれたり庭の柿を持ってきたり、それはそれはまるで昔からいる農家のように付き合ってくれている。最近はふざけて「寒いときにゃあ~よ~、こんれ~飲むと~暖まるっぺ~ヨ~ォ」と、朝から焼酎ビン2本を持ってやってくる。南のオッチャンは暇があればやってくる。腰を痛めてあまり農作業ができない=暇なので、毎日やってくる。私が都会人だからか? 農業や農村について知らないことがあまりも多く、それがオッチャンには不思議で楽しいようで、田んぼで捕まえた80センチを超える巨大な鯉や、汚い茶色のロープのような食べ物(ずいき=里芋の茎)を持ってきては私を驚かせ、同時にいろいろ教えてくれる。私はそれが、何よりも嬉しい。
でも・・・言葉が分からないのよ
南のオッチャンとはそれほど時間を要せずに親しくなった。クセがある・怖いと言われる人ほど、案外そうではないことが多いことを、経験上知っている。こういう人は自分からどんどん飛び込めば良いのであり、私は普段通りのオシャベリと笑いで飛び込んだところ、すぐに受け入れてもらえた。これは予定通り。しかし、予想外のことが待っていた。オッチャンのコトバがまったく分からない!
私の畑は千葉の流山に位置する。川を渡ればすぐに東京、千葉でもかなり東京よりの場所。方言など存在しないと思っていたのだが、オッチャンの話すコトバがほとんど理解できないのだ。 聞くところによると、ご先祖様は室町時代あたりからこの土地で農家をやっているという代々の農家であり、それが理由かは定かではないが、とにかく話すコトバの半分以上が聞き取れない。テロップが必要なのだ。せっかく仲良くなったのに一大事である。ということで私はほとんど何を言っているのか分からないまま、相槌を打ち、笑い、神妙な表情を作り、オッチャンのココロの内を察しながらコミュニケートするよう努めた。そんなことを半年も繰り返すうちに徐々にコトバが聞き取れるようになり、今では理解度はほぼ100%に達した。そして気付いた。オッチャンの話の80%が下ネタだった・・・。
主婦の井戸端会議のようになり・・・
南のオッチャンと親しくなる一方で、なかなか打ち解けてくれない人もいた。オッチャンの奥さんだ。半年経過しても目がなかなか合わず、どこかに「東京もん」「非農家出身者」という冷めた視線が、ときどき会話する短い時間のなかで感じられた。「週の半分だけ農業」「東京から通いで農業」「本業はコンサルタント」という変わった農業スタイルが起因しているようだ。そんな農家にオバチャンは会ったことがないから、やや怪しまれていた。
でも雑草取ったり手で虫を潰したり、汗水流して半年もマジメに無農薬をやっている姿を見て、オバチャンも徐々に話をしてくれるようになっていった。「アンタ、若いのによく農業なんてやるわね~。しかも東京からわざわざ」「儲からないのに何が楽しいの?」と。最初の頃の話といえばそんな私の奇異な部分だったが、しだいに「そろそろ白菜播く時期よね」「ニンニクよくできてんじゃないの」などなど、農業のことについてのテーマが中心になり、それこそが近隣農家のノーマルな会話であり、ここにきて、ああ、少しは農家として認めてくれたのだと思うに至る。そこからが急展開。オバチャン、一気に近所付き合い・・・。つまり、農家の世間話。井戸端会議。
オバチャンは農業という職業が嫌いらしい。休みがなく天候に左右され、儲からない。そして農業は難しい。農家歴数十年の大ベテランでさえ、いまだに分からないコトがたくさんあるという。仲良くなるにつれていろいろなコトを教えてもらい、やがて井戸端会議の定番、主婦のボヤキもちらほら口にするようになり、私は聞き役に回り・・・。
お父さんがトラクターで脱走しちゃったけど、どこ行ったか知らない?
南のオッチャンは腰が悪くクルマの運転をしてはいけないと、医者から忠告されていたらしい。でも頑固なオッチャンはクルマに乗ろうと企んでいたため、オバチャンはクルマのキーを隠してしまった。これで安心と思っていたら、オッチャンはまさかの荒技に出た。農業用トラクターで脱走を図ったのだ。「お父さん、どこ行ったか知らないわよね・・・」とオバチャンに聞かれても、困る。すでに夕暮れ、カラスが鳴いている。トラクターでパチンコ屋? 喫茶店? オッチャンならやりかねない。腰の具合を心配するオバチャンには申し訳ないが、私は何ともファンキーなオッチャンだと、さらに好きになる。
会話は上手でなくてもココロは通じる
北側にもう一軒、農家が隣接している。こちらもメインで農作業しているのは奥さん、つまり"北のオバチャン"である。南よりもっとシャイで、私が抱いていた農家のイメージにかなり近い。それほど喋るわけではないが、やはり笑顔が素敵で、いつも寡黙に農作業をしている。北のオバチャンと目が合い、会話をするようになるまでには1年近くかかったと記憶している。話をするようになると、やはり初対面の人が苦手な印象を受けたが、それは至極当然である。都会のようにお隣さんがころころ入れ替わらないのが農村なのだから、サラリーマンのように誰とでもすぐに、というわけにはいかない。
仲良くなると、途端に距離が縮まるのが農村の良いところ・好きなところ。北のオバチャンはいつも豪快なおすそ分けをくれる。農家のおすそ分けは尋常でない。ショウガは葉ごと丸ごと50本! 私は二人暮らしだと説明しても、それは通用しない。まあまあ、持って行きなさいと、さらに両腕に抱えきれないほどの枝豆を持たせてくれる。私はありがたく頂戴する。家に帰り、ありがたく頂く。
農村は狭い。両サイドの農家のほか、普段顔を合わせるのはあとは数軒の農家だけ。農道を通るのはほぼ農家に限られるから、顔ぶれは同じになってしまうのだ。先日はあまり話したことないけど知ってはいるオジイチャン農家が、ビニール袋を持ってやってきた。いきなり「ホレ!」と渡されたのは、自家採取した"秘伝の黒豆"だった。大変貴重なものである。「これ、お前のとこでも蒔け。美味いぞ」とひとこと。たぶん、そう言った・・・と思う。あまり話したことがないから、やはり半分以上、コトバが聞き取れない。顔は仏頂面、怒っているのかと疑うが、怒りながら豆をくれる人もいない。それがこのオッチャン流のコミュニケーションなのだ。隣ではオバアチャンが、一言も発さずに空をじっと見上げていた。何かカワイイ。
今年の猛暑はキツかった。真昼間に農作業をしている農家など皆無。そんな蒸し風呂状態の畑で私が鍬をふりおろしていると、通りがかりの農家は「お~い! 死ぬなよ~!!」と、笑いながら軽トラで過ぎていく。
農村は閉鎖的? いやいや、馴染めば超オープンな世界だ。農家は寡黙? いやいや、おしゃべりさんが多い。農家はマジメ? いやいや、トラクターで脱走するファンキーなオッチャンだっているぞ。そんな愉快でココロ優しい人々に囲まれて働く日々が、ツライわけがない。
先日の朝、畑の上空を数千という鳥の群れが、キレイな列をなして北へ向かって飛んでいった。私は大地震の前触れか? と思っていたら、「もう冬だね~」と、一緒に見ていたオバチャンが呟く。越冬する鳥の群れ・・・。こんな光景を口を開けて見上げながら、農業も素敵だな、と思うのだ・・・。
(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)
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