地方が生き残る道を考える ~ 泉佐野市の財政再建策から
昨日のYahoo!ニュースで、ちょっと衝撃的なニュースを見かけた。
「市の名前、売ります」破綻寸前の大阪・泉佐野 (読売新聞) - Yahoo!ニュース.
財政破綻一歩手前の大阪府泉佐野市は、新たな歳入確保策として、企業から広告料をもらう代わりに市の名称を企業名や商品名に変更する自治体名の命名権(ネーミングライツ)売却に乗り出すことを決めた。
平成22年度の決算にもとづき総務省がまとめた資料によると、既に財政再生団体として再建中の夕張市、破綻一歩手前の泉佐野市を始めとして、全国で5自治体が早期健全化基準以上の再建が必要であろう自治体として報告されている。平成21年度の14自治体から比べると改善したようにも見えるが、全国自治体の長期債務の合計額が依然として約200兆円もあることを考えるとどこも財政は厳しいのではないかと考えている。
ただ、国の借金の増加率と比較して、地方の借金総額はこのところ200兆円前後でほとんど増えていない。つまりは、過去のツケである地方債償還の負担が大きくなりすぎて、これ以上新たに借金を重ねることが出来ないという状況なのではないだろうか。そういった意味では、地方自治体のバランスシートを元にした財政健全化の仕組みはある程度機能をしているのかもしれない。しかし、地方が財政再生団体に陥ることを恐れ、新たに借金をせず、ただ行政サービスを削っていくことだけに専念するようでは地方の未来は暗くなるばかりだ。
民間企業では、銀行からお金を借りたり、投資家や株式市場から資金を得て、事業を興す、回すことは当たり前のことだ。ただ、国や地方公共団体と違うところは、借りたお金、投資してもらったお金を元に付加価値のついた商品、サービスを創り、それを販売して投資したお金以上の売り上げをあげて利潤を得ているところだ。そうでないと民間の営利企業は存続できない。
国や地方公共団体は、果たして住民から得た税金以上の価値を産んでいるだろうか。資本主義社会の中で、価値の創造をすることが民間企業、国、地方公共団体も含めて求められている。ただ、価値というものはそれを消費してくれる利用者がいて初めて見出されるものであり、国や地方公共団体の場合は、それは国民であり、住民である。
では、今回の泉佐野市の場合を考えてみると、本来、住民にしっかり向き合って、住民の求める価値を考えていかないといけない行政が、なぜか見当違いの方向を向いて、市民を抜きにして単純にその場凌ぎのお金を得ようとしているようにしか思えない。地方自治体の財源確保として、民間企業の事業所や工場を誘致し、雇用と税収を生んで地域活性化に繋げていくというモデルが一般的にあると思うが、仮にこのネーミングライツの案がその誘致まで見込んだ話ならまだ理解できなくもないが、今まで何の関わりも無かった企業が色々なリスクを負ってまで、泉佐野市に根をはっていくということはないだろうし、既存の工場(例えば、キューピー、不二家)などがネーミングライツを取ったとしても新たな事業所や工場、つまりは雇用や税収は生まれないのではないだろうか。
何はともあれ、このような苦肉の策が出るくらいなので、無い袖は振れない、もう後が無い状況であることは良くわかる。ただ、そのような状況にまでならないと頭を使って新しいことを考えないことが問題だ。全国の自治体には、ぜひ余裕があるうちに、住民が本当に求めている(お金を出しても利用したい)ことを、民間企業と役割を分担し、協創的な関係を築くことによって実現してもらいたいと思う。もちろん、民間企業が提供することのできないセーフティネットを実現した上の話ではあるが。