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今あらためて組織力が問われる時代に、”負け組をつくらない組織”の作り方を研究していきます。

物質社会と精神社会

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私たちは物事の良し悪しというのを絶対的価値比較ではなく相対的価値比較で判断していることが多い。世の中の多くは、立場が変わると見方や価値が変わる。普段、自分たちがネガティブに感じていることも立場や時間が変わるとポジティブになったりすることがあるはずだ。つまりは、物事の本質とは別に、それを立場や状況に応じて受け手側が勝手に色をつけた結果、良い悪いと人は感じている。分かりやすく言うと、“モノは考えよう”ということ。しかし、ただ何でもかんでも自分に都合の良いように考えていても他者にそれを受け入れてはもらえない。正しい認識を持つことが求められる。“本質を見極める力”とは、その正しい認識を持つ為に必要な力と言える。

以前、京都大学の教授であられる中西輝政氏の著書 “本質を見抜く考え方” という本を読んだことがあるが、物事の理解における一連の流れとして、「知識>認識>見解」というに情報を自分なりの意見が加わってアウトプットできることが最終的には必要なことである。この本では、それらの過程における物事の本質を見抜くためのヒントが国際政治学者である著者ならではの観点で書かれている。著書は本質的に物事を捉えることを一つの技術として考えている。私も確かにこれは訓練が必要なテクニックの一種だと思う。たまにコンサルタント会社出身の人と話をしたり、そういう世界で活躍する人たちの本を読むと殊更感じることだ。ただ、そんな難しい話じゃなくごく一般的な私たちでも日々生活の中でもっと本質を見極める力を養いながら成長できるとも同時に思うのだ。

物質社会と本質的見方

以前、中国で生活をしていた頃、日本は物質社会であり、中国は精神社会であると感じたことがある。第2次世界大戦後のアメリカ誘導の復興政策の結果、日本も先進国の仲間入りをしたと自他共に認められるようになったのは、GDPランキングがアメリカについで世界2位となった80年代のことだろう。私が育った時代は既に先進国日本であり、大抵のことでは物には困らなかった。従い、平均的に物を所有するようになったこの頃から、所有物など物質的価値の物差しで価値づけをする傾向が強くなったのではないかと思う。あたかも付加価値である所有物(豊かな生活を象徴する家や車に始まり、人の外見や経歴も含め)にブランド的価値を見出すことが一般的になったのだ。しかし、7年連続GDPが二桁成長を遂げる中国ではまだ精神的社会であり、人は物事の良し悪しを本質的に判断しているように見える。面子を重んじる国柄、必ずしもそうじゃないケースもあるが相対的に見るとやはり精神面を重んじていると感じることが少なくない。例えば、人間関係においては、もちろんそれなりに外見や経歴で判断はされるが、心がきれいだとか優しいなどの内面をよく見て好き嫌いを判断する人が圧倒的に多かった。経済格差が問題視される中国では、土日に銀座で100万の買い物をする人もいれば、平均月給3万円ほどの人が人口の多くを占めている。確かに日本でも私たちにの親の世代では、その当時のフォークソングなどの歌詞をみても今とは違い精神面を重視した世代だなと感じるが、それも物質社会途上時期だったからなのかもしれない。カッコいい、美しい・・・という形容詞も時代と共に基準が変わっているのだろうが、物質社会である現代日本においては、“本質を見極める力” は養いにくい土壌なのかもしれないと感じる。だからこそ、より求められているとも言える。ブランド的価値をあまりにも崇拝するあまりに、本当の部分を曇らせている可能性がある。

本当に大事なことが見えているかどうか?

本質的に見ることができないと、良くも悪くも常に自分の人生が外部からの情報にその多くが左右されてしまう。本質を見極めることに努めていくと、本当の意味・影響・目的を正しく理解する ということで自分自身が納得いった状態で物事の判断・決断をして人生を切り開いていけるのである。ちょっとスケールを変えて、普段の仕事においてはどう影響してくるのかを考えてみたい。例えば何かのプロジェクトをチーム単位でやるとか、交渉事の場面やクレーム対応など色々なシチュエーションで、“人の気持ちを納得させる・動かす” ことなくしては何事も進まない。 ここで“人を導くこと”のできる人とそうでない人の違いとして“本質を見極める力”があるかどうかが問われる。何が重要か? 何が一番大事なのか? 何を一番恐れているのか? 何を守らないと困るのか? 誰が重要人物なのか? 何が本来の目的なのか?何が正しいのか? 何が決定要因なのか? いつまでにやらないといけないのか?・・・ 正しく把握している人でなければ本当の結果を出すことはできない。必ず会社組織には存在意義として目標があるが、にも関わらず、小さな事柄のみに目がいってしまい全体を見ることを忘れていると、目標を達成することもできず本当の改善すらない。結果的に無駄な時間と無駄に信頼を失うことになる。本質的な問題の発見を怠り、目に見える現象1つ1つに対応をしても本質的な問題を解決しない限り、また似たような現象は発生する。常に本質的な問題を追及することによって、他の人を巻き込んだ深い議論をリードすることができる。本質的な考え方=論理的思考は問題解決力の基礎なのである。

よくマネージャー・リーダー業務などをしていると、毎日沢山の指示を上司からもらい同時に数多くのやるべきタスクがあり、あまりにも忙しくどこにどれだけ力を配分すべきかと悩むことがあるだろう。全てがすんなりと理解できて取り組める仕事ばかりではないだろうが、少なくとも前向きに取り組むためには、その多くの業務一つ一つが、何の目的で必要なのか?を考えると良い。最終的に導かれる目的は一つしかない、利益の獲得である。営利団体の会社であれば社員は全員この目的の為に動いている。全ての行動は、その目的・目標に貢献していて自分もその過程で人として成長できると実感できれば、忙しくても前向きな意識で取り組めるのではないだろうか。


心と知能のある人間であるからして、私たちは目的意識を持って働かなければ本来の姿ではない。本質的に物事を理解するということは、厳しい時代をサバイブする意味でも、健康的に前向きに働く意味でも日々鍛練しなくてはいけないスキルなのだと思う。

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