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冨田勲、シンセサイザー、初音ミク、そしてクラウド

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「リボンの騎士」や「ジャングル大帝」といった手塚治虫アニメの主題歌を作曲し、シンセサイザーの先駆者で、歌声合成システム「ボーカロイド」を高く評価していた冨田勲氏が亡くなった。遺作となった交響曲「ドクター・コッペリウス」は予定通り11月に上演されるそうである(ニュースリリース「冨田勲×初音ミク「ドクター・コッペリウス」 上演についてのお知らせ」)。

今回は、富田氏を追悼し、シンセサーザーと初音ミクの評価を踏まえ、クラウドコンピューティングの意味について考える。

なお、本稿は2012年12月17日付でWebサイト「Computer World」に掲載された記事をベースに加筆・修正したものである。

 

■ボーカロイドと仮歌

ここ数年間で、音楽業界最大のニュースの1つは「初音ミク」に代表されるボーカロイドの台頭だろう。ライブまで開催され、最大で1万人を集めたという。

ところが、ボーカロイドの開発元であるヤマハは、ボーカロイドの歌を直接鑑賞することは想定しておらず、「仮歌」用途を考えていたという。「仮歌」というのは、歌唱を前提とした曲を披露するために便宜的に当てる歌のことである。

多くの作曲家は楽器を演奏するので、自作の曲を演奏したものを録音し、売り込むことは難しくない。また、最近はシンセサイザーの発達により、楽譜だけを使って演奏することもできるようになった。いわゆる「打ち込み」という形態である。これにより、自分の楽器演奏能力を超える曲も披露できるようになった。

しかし、シンセサイザーでの音声合成は極めて難しい。そのため、歌だけは誰かに依頼する必要があった。

一部の作曲家は自分で歌う。特に、シンガーソングライターが提供した曲は、仮歌といっても高い音楽性がある。そのため、後に「セルフカバー」という形で披露されることも多い。

たとえば、竹内まりやの「元気を出して」は、薬師丸ひろ子のために提供されたが(1984年「古今集」)、後に竹内まりやがセルフカバーし、今ではこちらの方が有名である。

もちろん、多くの作曲家はそれほど歌がうまくないわけで、こうした例は多くない。そこで、アルバイトを雇って「仮歌」を当てる。そういうアルバイトは、歌手志望の人が多いそうである。

仮歌のアルバイト料はそれほど高くないらしいが、運が良ければ、仮歌を聞いた音楽業界の人からスカウトされることもあるだろう。歌手を目指す人にとっては悪くない話である。

ただ、アマチュア作曲家の場合は仮歌シンガーをどこで見つけるのかという問題がある。最近は各種のSNSがよく使われているらしいが、スタジオを借りるお金もないアマチュア作曲家の部屋に、初対面の仮歌シンガーが1人で上がり込むことに抵抗を感じる人もいるだろうし、作曲家の方も気を使う。シンガーソングライターの宮崎奈穂子さんも仮歌のアルバイトをしていたことを振り返り「初対面で、1人暮らしの男性の家に、よく1人で訪ねていったものだ」と語っていた。

ボーカロイドは、そうしたアマチュア作曲家のために企画された歌声合成システムだったらしい(歌専門で、話し言葉は不得意だそうである)。開発者は、あくまでもデモ用の仮歌を想定していたようだが、クリプトン・フューチャー・メディアによる商品化後、ニコニコ動画などで人気が出始めた。それを受け、クリプトン・フューチャー・メディアによるコンテンツの投稿サイト「ピアプロ」が開設された。ピアプロでは、クリエイティブコモンズを意識した非営利ライセンス規定が適用される上、投稿作品の二次創作にも積極的である。

こうした状況を見て、ヤマハの開発者はかなり戸惑ったらしい。ボーカロイドの歌唱は、独立した作品として発表するには品質が低すぎると考えていたからだ。

しかし、考えてみればエレクトーン(これはヤマハの商標である)も、パイプオルガンの代用品と考えられていたものが(ヤマハ自身は「代用」とは考えていなかったようだが)、今では独自の楽器としての地位を確保している。

冨田勲氏がシンセサイザーを導入した頃、シンセサイザーは楽器としての地位を確立しておらず、税関で「これはコンピュータではないのか」と足止めされたそうである。しかも、操作が難しい上、動作も不安定で、実用的な「楽器」とはとても呼べなかったらしい。

ヤマハの開発チームは「そういえば、シンセサイザーも楽器としては不完全な頃から、多くの人が実験的に使ってくれたおかげで実用的な楽器に進化したのだった」と思い、さらに開発に力を入れるようになったのだという。

不完全な状態であっても、多くの人が使うことで、独自の文化が発達し、さらに製品が改善されていくのが新製品の常である。

ところで、ボーカロイドが発達すると仮歌の需要はなくなるのだろうか。そうだとすると、仮歌シンガーからプロデビューという流れは、今後なくなるのだろうか。幸か不幸か、現在のボーカロイドは人間に代わるほど高性能ではない。開発者の話では、今後、さらに品質を上げることは当然考えているが、それとともにボーカロイド独自の歌、たとえば極端に速いテンポで歌ったり、1人ではカバーしきれない広い音域を発声させたりして、人間とは異なる歌声に進化させることを考えているそうである。エレクトーンがオルガンの代用品ではないように、ボーカロイドも人間の代わりになるわけではなさそうだ。

ただし、「単に楽譜通りの音程をそのまま歌うだけの仮歌」需要はなくなるだろう。仮歌であっても、高い表現力を持ち、歌手に指示したり、プロモーションとして役立ったりするような歌が歌えないと、仮歌シンガーとしての価値はなくなる。「ランプ産業がなくなっても照明業界がなくなるわけではない」「世界最古の職業から学ぶITの職種」でも書いたとおり、ミクロに見ると多くの仕事がなくなっている。簡単な仕事は機械に置き換わるので、産業としての存続は人間にしかできない分野を見つける必要がある。

 

■クラウドと企業システム

ボーカロイドは、不完全なものであっても良い面を評価し、新しい文化を作ることに成功した例である。実は、こうした流れはIT業界でも起きている。たとえばクラウドコンピューティングである。

クラウドは「よく管理されたITシステム」に比べてサービスレベルが低い。代表的なクラウドサービス提供会社Amazon Web ServicesのストレージサービスS3は「イレブンナイン」つまり、99.999999999%の信頼性を誇るが、サービス停止はもう少し高い頻度で発生している。Amazonは、データが破損しないことを「堅牢性」と呼び、イレブンナインのサービスレベルを提供するが、実際に使えるかどうかを意味する「可用性」は99.99%に過ぎない。仮想マシンサービスEC2に至っては99.95%の可用性である。一方、東京証券取引所の株式売買システムarrowheadは99.999%の可用性を保証するわけで、桁が違う。

では、これをもって「クラウドの可用性は低いから、採用するのは時期尚早」と言えるだろうか。これについては2つの観点から考える必要がある。

まず、現実には、一般的なITシステムの可用性は99~99.9%程度とされているから、AWSの数字は決して悪くない。いい加減な管理しかしていないと95~98%程度まで落ちるという説もあるから「クラウドにするからよく落ちる」というわけではない。だいたいにおいて機械化とか自動化は「素人よりは上、熟練者よりは下」のレベルであり、クラウドも同じである。

次に、クラウドは単なる置き換えではない大きな利点がある。たとえば、自社のデータセンターに配置されたコンピュータの台数を100台増やすには、数か月前から計画を立てる必要がある。不要になったサーバーを捨てるにもお金がかかる。クラウドでは、単に台数を増やすだけなら数秒であるし、不要になれば契約を縮小すればよい。こうした柔軟性は、既存のシステムではちょっと真似できない。

AWSのサービスは、仮想マシンEC2が有名なためか「自社データセンターの安い代替品」と考えている人は今でも案外多い。分かりやすい説明ではあるが、それは「エレクトーンはオルガンの代用品」「初音ミクは仮歌の代用品」というようなものだ。そういう側面もあるかもしれないが、それだけではない。

仮想化もそうだ。初期の頃は「ハードウェアコストを削減する」という面が強調された。しかし、ITシステム全体に占めるサーバーハードウェアのコストは実はそれほど大きくない。現在では、システム構成の柔軟性が評価されている。

新しい製品やサービスは、それが新しければ新しいほど説明が難しい。簡単に理解してもらえるために、ある一面を取り上げて説明するのはよい方法だが、それがすべてではないことに注意したい。

新しい技術には不完全な部分がつきものである。しかし、技術が成熟するまで待っていたのでは得られる利益が少ない。現在、Windows Server 2012のHyper-Vが高く評価されているが、ビジネスとして利益を出しているのはWindows Server 2008時代からHyper-Vをサポートしていた企業や、VMwareを扱っていた企業である。Hyper-VとVMwareでは構造が違うが、「仮想化」という側面から見た場合のビジネスモデルは非常に近い。不完全な時代から使い、リスクを取ってビジネスを続けた企業だけが、先行者利益を得られるのである。

もっとも、利益が出る前に消えていった企業が圧倒的に多いし、技術そのものが消えた例も少なくない。「あきらめなければ成功する」と単純に言えるようなものではないのが難しいところである。

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