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サイボウズのWM動画「大丈夫」がピンと来ない家庭科の共修世代(松坂世代)

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私は家庭科を中学・高校ともに必修で学んだ世代です。Wikipediaによると中学校1年生から男女が共に家庭科を学び始めたのは1993年からとのことです。1980年度の生まれ、1980年4月2日から翌4月1日までに生まれた松坂世代は中学1年制から家庭科が男女ともに必修となった世代でもあったのです。(私の通っていたオーソドックスな公立中学校では他の授業と同様に男女の1クラスで席を並べて習いました。)

1993年(平成5年)に中学校で、1994年(平成6年)に高校で家庭科の男女必修化が実施された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E5%BA%AD_%28%E6%95%99%E7%A7%91%29

Wikipediaの肝心な箇所には「要出典」などがつけられてしまっていますが、大勢としては一般教育および技術・職業教育の男女同一機会の保証を求める「女性差別撤廃条約(1979年12月18日国際連合第34回総会で採択、1981年発行)があるのにもかかわらず中学に上がると技術家庭科の時間には男女が別れ、男子は機械工作などの「技術」を習い、女子は料理や洋裁などの「家庭」を習うというのはおかしいという意見から共修化がなされたようです。そもそも、別々に習うという経験をまったくしていない私のような世代からすると「戦前ですか?」という感想を抱いてしまいます。反対に私の兄は家庭科など小学校で卒業しており、中学になったらエンジンの仕組みを習ったりしないの?という点で共修スタイルに驚いていました。

タイトルで落ちのようなものですので中締めしますと、1980年以降生まれの男性は国からの強いメッセージとして「これからは男子も家庭科を習い、女子も技術を習いたまえ」と受け取っています。厳密にはそのようなメッセージを感じ取ることもなく、そういう社会に出ていくものだと思っているはずです。逆にそれよりも昔の世代は「男子は家庭のことなど女子に任せて顧みずものづくりをしたまえ。女子は家事で男子を支えなさい」というメッセージを思春期の頃に受け取っていたことになります。これは強烈ですね。

1980年以降生まれで女性にお茶汲みをさせるといったような考えがある人は家庭や地域の環境でそういった考えが強い結果なのではないかと思います。もっとも、1978年くらいまでは中学の途中から共修に切り替わっています。どの世代がもっとも強く「男女共修化」の影響を受けたかといえば途中で切り替わった1979年や1978年の世代なのかもしれません。なお私も家庭科の教諭から「これからは共修なのだ」という熱弁を聞いたことを覚えています。内容は完全に忘れました。ただ、ワーママだったはずのその教諭にとっては何か教師としての立場を超えた熱い思いがあったのではないかと思います。もう一度聞きたいものです。

そういう事情がありもしワーママ志望の女性が結婚相手を自由に選ぶとすれば、1970年代の前半くらいの生まれと1980年代以降ではかなり男女共同参画社会についての考え方も異なりますし、特に公立校で受験勉強をきっちりとこなしたようなタイプの男性ならば家庭科を捨て去ってはいなかったと思われますので「ウールマークは洗っちゃだめ」とか「小さじで砂糖を測るときはヘラですり切りに」みたいな教科書知識を覚えている可能性が高いです。それどころか赤ちゃんの発育(モロー反射やブリッジェスの情緒発育)なども記憶している可能性があります。思春期の頃に習ったことを育児書でおさらいするのと、「家庭科は女子の時間。男たちは大工仕事しようぜ」というところからスタートしてパパになるのとでは結構違います。結婚相手を選ぶ条件は様々ですが、家庭家教習世代は1980年前後から若い人たちという点はワーママ志望の女性にとっては覚えておいたほうが良いことかもしれません。

もちろん家庭科共修世代であっても自身の両親のオーソドックスな役割分担や地域、会社での上司や同僚のライフスタイルの影響を受けて共働きのあり方についてはいろいろな考えがあることと思います。ただ共修世代にとってはほとんど妻に任せて「よろしく!」というのはなかなかピンと来なくて、もっと男女で分担し合おうという気持ちがあるんではないでしょうか。解雇や倒産の危機や住宅ローンの破綻といった現実問題があったりする場合は別ですけれども。

さて最後に関連の話題ですが、国会議事録検索システムで平成5年から平成6年前後の「家庭科」という発言を見ていたところ当時の森山眞弓文部大臣のこのような発言が見つかりました。

今回の新学習指導要領におきましては、高等学校におきましては家庭科を男女とも必修といたしておりまして、男女が協力して家庭生活を築いていくということについても指導するようになっております。今後とも男女平等に関する教育の一層の充実を図ってまいりたいと考えます。(126 - 参 - 文教委員会 - 2号 平成05年02月23日 )

大臣の任期は共修化の前年1992年12月からということです。森山氏がどれほど共修化に直接的な影響を及ぼしたのか、残念ながら調べきることはできませんでしたが女性初のキャリア官僚(東京大学卒業後、1950年4月に女性上級職員第1号)と言われる森山氏が共修化を見届ける立場だったというのは何ともおもしろいものです。

なお、森山氏の長男は高校1年制で柔道の試合(授業でなく公式試合)の事故で落命されています。そのような悲しいご経験があるのであれば、現在のような授業での柔道の必修化もとりやめるよう働きかけいただきたいものです。

話を戻しましてその頃の記録を探していますと、必修化に当たっては男子に習わせるなんてという意見がやはりあり、男子でも希望する人には教えてあげるという選択制にしてはどうか?というお茶を濁すような意見もあったようです。その一方でキャリア女性からは「そもそも家庭科をなくしてしまえ」という意見があったというのは興味深いところでした。

男性からすると先輩ワーママの「私の時は大変だったのよー」は環境が違っていて参考にならず、あたかも男性の先輩の「昔は土下座して営業案件を取ってきたもんだ」みたいな飲み会のネタ話みたいな独特の雰囲気があります。それどころか、本人には口が裂けても言えないのですが、「そうやって子供がいても男性に張り合って対等に働けると証明しようと無理したことで相当数の普通の女性がワーママを諦めたり、今もなおバリバリと働く事こそワーママの理想型だという呪縛を産んだんじゃないですか?」という疑問をぶつけたくもなります。しかし答えはぼんやりと見えていて、そのように「新しい働き方」を求めた女性は確かにいたけれどもほとんどが駆逐されてしまい、あとに生き残ることができたのがバリキャリ型のワーママだけだった、それが今につながっているだけで当時のワーママたちが一丸となってバリキャリを目指したというわけではない、というのが実態なのではないでしょうか。

とすれば、よく女性は均等法第一世代と言いますけれども、その後にも色々と男女共同参画の歴史に残る世代があったかと思います。そこに「男女家庭科共修世代」というのはこのサイボウズのWM動画を契機としてもう少し大きな一歩を刻むことができるんじゃないか、そうしたい、そうしなければならない、というような気がします。女性初のキャリア官僚である森山氏と、男女共修化のバトンをいきなり渡された家庭科教諭たちに支えられてやってきた我々世代からすれば、本エントリに書いてきたような経緯があることをひっくりかえして「ウーマノミクス世代」とか言われたら膝が崩れそうですけれども。

本エントリは余計な一言が多いのですが、もう一言。上の世代で「専業主婦志向」が強いのはまだしも、同世代で主婦になる女性(であって夫が妻の支えを特別に期待せざるを得ない職業(大企業の幹部コースや医師、会計士、自衛隊、教授職、技術専門職、などなど)でない世帯)では、どのような人生の目標があるのか、たまにしか接することがないのですが、接するとまったく感じなくて理解できない点があります。上から目線ではなく、互いに理解できていないんではないかと思います。

(参考)「家政学と家庭科教育に関する特別委員会」第2回ヒヤリング講演要旨 (昭和60年3月30日)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1951/36/6/36_6_452/_pdf

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