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並べて見られる機会が増えた?

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センター試験が終わり受験シーズンが到来しました。受験というと成績で比較されるものですが、合格点に達してさえいれば個々の性格や特徴といったところはほとんど見られません。もちろん面接などを伴う試験は除きます。

では中学や高校の学内の試験はというと、平均点から赤点のラインを引いたりですとか偏差値を出したりはしますが、ひとりひとりを比較するということはあまりされないように思います。ただ、小学校や保育園幼稚園くらいの幼い時期ですと、先天性の病気が見つかったりする時期ですので内面外面の両方からよく比較されると思いますが、思春期の前ですので本人たちはあまり気にしないでしょう。

さてインターネットではカカクコムのような比較サイトが人気を集めてみます。個人が寄せる商品の感想を通じて機能性や不具合の多寡を調べたり、直球に価格差を調べたりということができます。私は大好きです。価格面で家電が受けた影響はとても大きいでしょう。映画や飲食店も買う前や行く前に比較され、最初のレビューが悪いと閑古鳥ということが起きているようです。

それでは生活者だけが比較の恩恵を受けているのでしょうか?私はそうではないと思います。

ごく最近のことですが、アルジェリアの日本人の人質事件や大阪の体罰自殺事件など心を痛める話題が続きました。また、麻生副首相の「なかなか死ねない」発言というのもありました。このようなニュースに対するtwitterの反応を見てみるとどうでしょうか?特に麻生副首相の発言は海外メディアなどが前後の発言を切り取らずに報じたのに対して国内メディアが一部でつけた見出しに「恣意的だ」とするような意見が数多く見受けられました。それをtwitterのリアルタイム検索で並べてみると、

  • 「また失言だ」と国内メディアの編集をそのまま受け止めている人
  • 特にソースを書くにせずにマスコミ叩きをする人
  • なるべくオリジナルに近いと思われる発言を紹介する人
  • 「チューブ人間」という表現が問題だというひと

などなど様々でした。これは色々な受け止め方があると思いますが、ひとつには情報感度という見方があると思います。もちろんこれだけでその人をどうだと決めるつもりはありません。しかしながら、仕事での入札やプレゼンの場面でならともかく、大人になってから他人とずらっと並べられて誰かに比較される機会があるということは10年前には想像もしていませんでした。ソーシャルメディアを通じて他の人と一緒に見られる機会が増えています。それを見る人は無意識のうちに比較します。

更に、私のようにコンサルタントをしていればお会いしたことのない人からも講演や寄稿の仕事も来るもので、その時にはやはりインターネット上での名前の露出が物を言います。その時にはカカクコムの商品のように色々な角度から比較されているものと思います。気をつけねば。

考えてみれば100年200年ほど前ならば服装や身のこなしで今よりもずっと比較というのはされやすかったのかもしれません。それを考えれば努力すれば努力しただけ自分のよいところを見てもらいやすいというのは悪くないものかもしれないと思いました。

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