勉強のコツとFIZZBUZZ問題
小俣さんが学校での勉強のことを書いていらっしゃいました。
学生のときに某教育関連企業の営業をしていた経験と自分の経験を踏まえて考えますと、偏差値を上げるためには予習が効果的という小俣さんの考えに全面的に賛同します。
理由のひとつとしては、自分で考えて学問の体系を頭に格納していく訓練になることです。
人の頭はハードディスクのようなものであるように感じます。自分で勉強をするとなると物理フォーマットをしながら、インデックスも自分で考えてデータを書き込んでいくような大変な思いをします。そこが勉強になります。
一方で学校にせよ塾にせよ先生はやはり教えるのが上手ですから、いかに「自分で考える力を育てる」と言っても論理フォーマットされたハードディスクにある程度整形されたデータを上手にしまっていくような作業になるように感じます。
もうひとつの理由としては、自分の捉え方と先生の捉え方とを比較できることです。自分はこう考えたけれども先生はやはり上だ(もしくは自分がすごい方法を見つけて嬉しい)といった点は記憶を主根と側根のような仕組みで非常に強いものにします。
また、最初に自分の解釈が間違っていて、なんとか自分の考え方が正しいのではないかと考えて10年も100年も学者が考えた上に不動のデータや証明を気づいている学術体系にチャレンジングにも抵抗しようとするところなど、本当に勉強になります。
こういったことから記憶力もつきますし、数学や物理では万一証明や公式を忘れてしまってもテスト時間中に構築するくらいの応用力と瞬発力もつきます。偏差値の「上げやすさ」という面では偏差値の持つ意味を考えると非常にあげやすいです。偏差値=偏りの度合いですから、一般人からのズレっぷりと乱暴に言い換えることも出来ます。とすると、学校や塾でいわゆる「よく出る問題」とされるところからの出題が多いテストでは標準偏差が小さくなります。一方で某国立大学など「良問だけれども奇問珍問」のような問題が出るとほとんどの人が解けない中で一部の人だけが正解しますから、偏差値がものすごいことになります。(高校のときに「標準偏差エラー」という偏差値をいただきました。良い思い出です。)
というように、予習をしてガンガン進めていくやり方に悪いことはありません。ほとんど。
ほとんどというのは悪いこともあるということです。人にもよりけりとは思いますが、予習をして余裕をかまして授業をほとんど聞かないようになると、他人が一般的に経る学習の過程がわからなくなってきます。提出物も出す、テスト本番は強い、先生に当てられても淀みなく答える、でも学校の先生の言うことを50分も聞いていられなくなります。
また、問題集についてもレベルや解説の仕方といった方面と別に、問題の好き嫌いという軸で合う、合わないが出てきます。好きな問題集をやっても受験に役立つわけではありません。
それよりも強烈に恐ろしいことに、現代国語や歴史の成績が記憶力レベルでやっていけるところで頭打ちとなり、100点満点に達しません。これはどういうことかというと、国語でいえば作者の心情や主人公がどうすべきだったか、どう感じたか等について問われる問題で問題文にない範囲までの世界観を完璧に自分で構築しなおして「自分の作品」として回答を書いてしまうという状況が発生します。
歴史も同じく、歴史解釈が自分バージョンに改変され、年代的にも地理的にも異なる事柄を「自分で考えて関連付けて格納」した仮説に基づいて回答してしまうことがあります。歴史の先生的には大受けなのですが、残念ながらテストでは誤りとされることが多いです。
自分だけかもしれませんが、社会にでるとプラスになることもマイナスになることも多いです。プラスになることといえばやはり設計でも実装でも運用でも、情報システムのような複雑な物事に対処する能力が高いと評価されることがあります。
その一方で、議事録やメールなど他人との関わりにおいて受け止め方が違ったり、伝えたいことが伝わらなかったりということがあります。
これは本当に一長一短といった特徴ですし、また、自分で活用しようとしなければ地獄、乗りこなすことができれば素晴らしい能力です。比較的に少人数で動く体制であれば複雑なコミュニケーションも必要なく、あまり困ることもないかもしれません。一方、大人数の会社であっても同じ性向の人がたくさんいては大人数揃えている意味がありませんから、それはそれでやっていける場面があります。
時には多めの人数の会議で誰も気づいていなかった問題や解決策を一番に発見することもあり、また、書いた議事録が全然要点を掴んでいなかったり、はたまた会議の結果を受けて適当に書いた1枚の概要図がものすごく良いと言われたり、意外とおもしろいものです。
もしこのブログを読んで共感がある人がいたならば、偏差値を切り抜けた先にある就職先を探すフェーズでは「ありのままの自分を出して企業側に選んでもらうこと」を念頭に置くと良いと思います。リクルートトレーニングを受けて「その他大勢と一緒」風にやり過ごした先の会社で右に倣えと言われて左を向くのはリスキーだと思います。
反対に言えば、就職の選考においてFIZZBUZZ問題のような手法を使う会社に入りたいと考えるのであれば大学時代に多少の工夫をしたところで非常に難しいのではないかと感じます。