【台風15号】被災の記録と記憶を伝える
台風15号が日本のさまざまな場所に被害を与えています。被害に遭われた皆さんにお見舞いを申し上げます。
特に私が幼少期を過ごした名古屋市の付近では人口が多いこともあり多数の避難指示、避難勧告が出るなど混乱が広がりました。まだまだ油断できないタイミングではありますが、とりあえず避難指示、避難勧告の規模が小さくなる等、事態が好転しているように見受けられることに安心します。
私の両親は二人とも伊勢湾台風に被災しています。なんとか大事に至らず感想を聞くことができます。というかだからこそ自分が存在するわけですが。
父は伊勢湾台風の当時には三重県名張市に住んでおり、名張川が氾濫して家が床上浸水をしました。が、田舎ということもあり家財道具や飼っていた犬が流される被害があったものの、それほど悲惨な状況ではなかったというような感じに話します。
一方母は名古屋市内に住んでいたのですが被害は床下浸水と窓ガラスが飛んできたもので割れただけでした。が、名古屋市内の南部は高潮により海から市街の方向へ水が逆流してきたときに貯木場から多くの丸太が流されて家々がひどく破壊されました。うちは名古屋駅の付近でまったく被害のない地域だったのですが、それを身近に見たのか聞いたのか、母のほうが被害が大きかったように話します。
台風の話題ではありませんが、祖父は「大きな地震にあったことがある」と話しておりました。私はつい最近までうっかりしたことながら何となく関東大震災のことだと思っていたのですが、祖父の年齢とも居住地とも話が合いません。これはどうやら三河地震のことだったようです。が、祖父は死んでしまったので検証しようがありません。
自分が遭遇した自然災害のなかで接触した度合いが大きいのは東日本大震災と東海豪雨です。平成元年の前後数年くらいにもやや大きめの台風があり小学校の校庭の木をなぎ倒したり旧家が壊れるといった被害があったような気がしますが、古い話でよく覚えていません。それ以外には目的したばかりで、とても体験を伝えることはできなそうです。
これらを元に子どもに何を伝えれば良いのか、と考えますと正確な記録はニュースや専門家に勝るものはありません。むしろ、当時の一般の人々が電話やテレビやスマホでどの程度の情報がどれくらいのスピードで伝わったか、という部分が一番重要なのではないかと思います。震災は仕方のない災害ですが、東海豪雨は後から考えればなぜ当時の自分は夕方までのほほんとバイトをしていたのか、と疑問に思います。と言いつつ、また明日東京の都心部にのほほんと出社して帰宅困難にならない保証がないわけではないですが。