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ハーバード白熱教室を5分と見ていられなかった

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NHKのハーバード白熱教室を初めて見ました。5分も見ずに消しました。とても素晴らしい内容だと思いますし、テレビで放映する価値のあるものと思います。しかし自分とは相性の良くないような感じがしました。それはひとえに私がひねくれて育ったからではないかと思います。

私がこれまで生きてきた中で、正義やら何やらについて考える機会は数多くあったように思います。たとえばやなせたかしさんの「あんぱんまん」のあとがきにはこうあります。

子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨て身、献身の心なくして正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです

あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、餓える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです

さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか。

あんぱんまんのいる国に育ったことの幸福を感じました。

Comment(9)

コメント

sunadorineko

「justice」が日本語で「正義」と訳されていますが、NHKの番組や書籍を読むと、どちらかというと「公正」に重きを置いている内容だと私は感じました。

sunadorinekoさん、コメントありがとうございます。
「公正」の文字を見てふと思い出したのですが、正義を司るローマ神話のユスティティアは目隠しと剣と「天秤」がシンボルになっていますね。
日本人ならば見た目に囚われぬための目隠しと、裁きの剣だけでいいように思います。
例えば三途の川にいるとされる老人と老婆は生前の罪の重さを測るために衣服を樹の枝にかけますね。天秤でなくて絶対評価である点が洋の東西の違いなのかなと思います。

sunadorineko

ローマ神話のユスティティアはギリシャ神話のテミスと同一視されていますね。この天秤は法益のバランスを象徴(日本の弁護士バッジなど)するもののようですね。司法・法曹という観点では日本も法治国家なので天秤に関する意味を理解しているひともそれなりにいるのではないでしょうか。
 また、日本では、三途の川に関する信仰は平安時代頃から信仰として広まり三途の川にいるとされる老人と老婆は江戸時代には広く認識されていたようですね。現在の日本人がそれと変わらぬ認識をもっているとは言い切れない気がします。同じ日本人でも考え方や価値観は時代により移り変わり、欧米とアジアという軸だけで比較するのは価値観を考える上ではまだなにか必要なのかもしれません。
 ただ、哲学者の木田元が指摘するように、哲学は西洋という文化圏の特殊さの中で生まれたものであり、日本にはなじまないのかもしれません。

私はほとんど見ました。
 ひねくれて育った私や山口さんにはぴったりの内容だと思いました。
 サンデル教授の「殺人に正義はあるか」「タバコの国の利益と損失」での矛盾、ひねくれた視点からの新しい発見、気づきが多くありましたよ。
 ぜひ、もう一度、15分でいいから見てみてはどうでしょう。

上げ人しらず

アンパンマン症候群ですか。
哲学より宗教3.0に傾倒されているようですね。
樫尾説によると、パンパース世代はパワーストーンを
手首に巻いたりしてスピに抵抗がないそうですが、
山口さんもそうなんでしょうか?
私にはガラパゴス化の一要因に思えます。

田中

「西洋思想の歴史において,そして,法哲学,法思想史においては,正義という言葉は,わが国でそれが一般的に用いられる際に意味するような『道徳的な正当性』ではなく,『複数当事者間の正しい関係性』という意味で用いられることに注意すべきである」(戒能通弘,「よくわかる法哲学・法思想」
「複数当事者間の正しい関係性」の検討は,現代社会においては,洋の東西を問わず,避けて通れないことかと思います。

sunadorinekoさん、コメントありがとうございます。
祖父と同居して育ったせいかオーソドックスな日本人的価値観があるのか、ああいった議論についていけませんでした。「傍目には公正に見えなくても当事者同士が納得してればいいじゃん。周りはすっきりしないかもしれんけど。」というようなことを言うと欧米の方は気持ち悪いのかもしれません。文化の違いを感じます。
けんじろうさん、コメントありがとうございます。
けんじろうさんがそういうならば見てみようかと思います。そうですね。ひねくれているからこそああいったまっすぐな議論に触れないといけませんね。ためになるアドバイスに感謝いたします。
田中さん、コメントありがとうございます。
『道徳的な正当性』という言葉、非常にすっきりします。我々にとってどうしてもなじみづらい制度に司法取引がありますが、日本も導入を考えていかなくてはならないかもしれないですね。ちなみに個人的には日本の「社会的制裁を受けたので」という減刑理由がどうしても受け入れられません。

通りすがり

ハーバード白熱教室の内容について、どのへんが自分と合わなかったのか、もう少し具体例を出してほしかったです。いきなりアンパンマンにみる正義を提示されても、それと白熱教室のどこがどう対比されているのかがわからないので困惑です・・。

また、白熱教室の教授は昨今の「傍目には公正に見えなくても当事者同士が納得してればいいじゃん。周りはすっきりしないかもしれんけど。」というところに落ち着こうとしていたトレンドにおいて上手くいかなくなってきた社会に視点を向け、対峙していくべきだという主張だと思うのですが。価値観の多様化を受容しすぎる社会がはらむ弊害とでもいえますかね。

通りすがりさん、コメントありがとうございます。
この引用部分ですが、やなせたかしさん自身が引用する形で「人生なんて夢だけど」というやなせさんの半生記に紹介されています。
戦争で弟をなくされ、自身も戦争に赴いて戦った方がアンパンマンという身近な作品を通して平和や正義について考える機会を与えてくれているのに、どうして自分は外国人が大学生に向けて授業をするテレビ番組を見るまでそういった事柄について考えることができないのだろうともどかしく思い、エントリにしてみました。が、意見をまとめられず、かといってひっこめるのももったいなく、こんな形で投稿してしまいました。気持ち悪い思いをさせてしまいましたら申し訳ありませんでした。

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