記者会見で伝わる立場とサービス
朝青龍関の引退、プリウスのリコール、国母選手の謝罪、といくつかの記者会見が続きました。私個人がそれぞれについてどういう思いを持っているかは述べませんが、これら一連の記者会見を通して「立場」と「サービス」について考えさせられました。
我々は集団として誰かを見るとき、その誰かに立場(立ち位置)を見出します。そしてその立場から、誰に仕えているか=サービスする相手は誰なのか=何をすべきなのか=仕事はなにか=果たすべき責務は何か、を読み取ろうとします。この2つについて、その人自身と、我々の見方との間にズレが生じると不幸な結果につながります。
例えば朝青龍関の場合はこんな感じだったと言えるでしょう。
朝青龍関に 求める立場 | 朝青龍関の サービス(仕事) | |
朝青龍関自身 | 相撲取り | 相撲で勝つ |
それを見る人々 | 横綱(日本を代表する関取) | 日本の国技の 良き担い手となる |
朝青龍関自身は相撲そのものに仕え、最強の横綱を目指して邁進するスポーツマンであることを自認していたように思います。それに対して相撲ファンを中心とした人々は、朝青龍関は一人の関取というよりも横綱らしい振る舞いを求め、相撲そのものの技術もさることながら日本の国技の担い手に相応しい人になることを望みました。
プリウスのリコールに関して、トヨタ自動車のアメリカに対する態度はこのようなものだったと言えます。
トヨタに 求める立場 | トヨタの サービス(仕事) | |
トヨタ自動車自身 | 自動車メーカの一社 | 目の前のお客様 |
それを見る人々 | 日本の製造業の 代表者 | 日本の価値を示す |
トヨタ自動車はアメリカで起きた一連の問題に対して、日本のいくつかの自動車メーカーの一社、また、世界の数多くの自動車メーカーの一社であるように振る舞いました。そして目の前のお客様の苦情を普通に処理したように思います。しかしそれを見ている日本の人々は、トヨタを自分たちの代表者のように感じていたのではないでしょうか。その点において、トヨタが処理すべきクレームは確かにアメリカの消費者のものでしたが、その処理をうまく片付けることで日本の価値を改めて示すことを求められていたのではないかと思います。
国母選手に関してはこのようなものであると言えます。
国母選手に 求める立場 | 国母選手の サービス(仕事) | |
国母選手自身の認識 | スノーボーダー | スノーボードの 技術を極める |
それを見る人々 | スポーツマン | 日本人らしく 振る舞うこと |
日本人らしくするとかそういうことは私自身が求めているとか求めていないとか、個人的な感情を入れてはいません。ただここ数日のtwitterやネット上に寄せられたコメント等を見ているとそのように感じた、というものです。
それが良いことかどうかはここで議論することを避けたいと思います。それぞれの人がそれぞれに思いを持っていらっしゃることと思いますので、結論の出るようなことではないでしょう。
しかしながら、そういった人がたくさんいて、そのように声を上げるとわかっているのであればそのように振舞うか、またはその立ち位置に立たないか、そのどちらかを選ぶことが責任感のある人の行動であると思います。これはこのエントリを通して一番私が言いたい意見です。
何かを代表するような大層な立場でなくとも、今までの経緯などを考えて自分に求められる立ち位置やサービスが決まっていることがあります。そして自分が立ちたいと思う立ち位置でなく、またやりたいと思うサービスでもないことは少なくありません。しかしそこで自分を貫き通して、周りを不快な気分にさせることはなかなか勇気のいることです。(結果の良し悪しは別として)ライブドアの堀江元社長のように周りを変えることを自分のミッションとして行動するならばそれはまた社会にとっての大きな財産ですが、単なるわがままや利己心が先走ったと思われてしまうような振舞い方は慎まれるべきであると思います。
特にコンサルタントのような仕事をしていると、お客様から求められる立ち位置であったり、生むべき成果物の方向がぼんやりと決まっていることがあります。はっきりと決まっていることもあります。無論、決まっていないこともあります。受注する前からお客様がどういうものを求めてくるかわかっていて、契約をしてお金をもらって、それを後からスコープ外だとか、コンサルタントの矜持としてそのような結論は出せないとか、そういうことを言ったらダメだと思います。
一番最近の例ということで国母選手を取り上げるとすれば、本人が気づかなくとも周囲が「オリンピックの代表になるということはそういう振る舞いを求められることだから従うか、嫌なら出ないかのどっちかだ」ということを教えてあげられなかったことが不幸なことだったと思います。ましてやインタビューなどで「結果を出せばいい」と考えているのであれば、オリンピックでないところでそれを認めてくれる人に披露すれば(Xゲームとか)皆が幸せになれたのではないでしょうか。特に年配の方は怒っているようですが、国母選手を支持する人も同じくらい怒っているのではないかと思います。
私もこういった事態で必要になる棲み分け力、振る舞い力、そういった無用な争いを回避する能力を身につけたいものです。