雪が積もって見えること。それとスマートグリッド。
東京近郊では派手に雪が積もっていますね。雪が降ると普段は見えないことが見えてきます。
例えば路面温度の低いところ。橋の上や建物の北側はすぐに雪が積もりますし、なかなか溶けません。何もないところで急に地面が見えていると思ったら、その道路に面したビルが取り壊し中で昼間に日光が当たっていたということがわかります。
例えば人の歩くところ。徒歩の場合は行く方向もわかりますし、靴跡の大きさからは大人か子供かもわかります。滑って転んだんだろうな、という跡も見ることがあります。
例えば地面の傾斜。雪が積もると窪んでいるところと膨らんでいるところがよくわかります。歩道と車道の間の区切りやマンホールなどの段差も雪が隠すとなめらかな曲線になります。
例えば風の通り道。いつもこのあたりで風が吹く気がする、と思っている建物の影にきっかりと雪の積もった場所と積もらない場所の境界ができていました。
例えば街灯の光。どれくらい高い場所から、どれくらいの広がりで地面を照らしているかがわかります。
普段は気づかない電線も上に雪が積もって存在感を増すことも、目立たない路地に思ったより多くの人の足跡がついていることも、新しくも広くもないけれども家の前の雪をしっかりと掃除している家もあります。
我々は昨年から今年にかけて新型インフルエンザに脅かされました。その中で、普段は休まない人が休んだり、もし爆発的な感染があったらと想定したりする中で、事業活動の中のこれまであまり見えていなかったような部分を見つけることができました。
我々はリーマンショック以降、経済の沈滞に向き合っています。事業領域の中でも落ち込みのない力強い部分と、落ち込みが大きく頼りない事業というものが見えました。株価の強い企業と弱い企業もはっきりとわかりました。
これらはどれも、雪が降らなければ、インフルエンザがなければ、リーマンショックがなければ、わからないものだったでしょうか。そうは思いません。雪が降らなくても目を凝らせば様々なことがわかるのと同じように、自分自身の仕事であり、事業領域の強さであり、そういったものは心を向ければわかったはずです。ただこれまでわかることはありませんでした。
スマートグリッドという技術があります。地球温暖化の危機と向き合った我々が考え出した電力ネットワークは、需給バランスを自律的にコントロールしようとしています。
国民背番号という技術があります。高齢化と少子化、福祉予算の増大、不況による歳入の減少、政治資金の不透明な流れ、税金のコントロール、行政サービスの適正化、これらは何十年も前から、何度も、提言されてきたことですがその大事さが見えず実現に至りませんでした。
危機を前にして、我々の生活に付随して発生し、何にも使われず捨てられる情報を活用しようとする動きが生まれています。危機を前にしなくては、情報に意味を持たせようとしない我々の呑気さはなんと頼りないものだろうかと思います。そして我々の前に広がる情報の膨大さはなんと途方もないものだろうかと思います。
何を言いたいかと言いますと、今朝私は傘を持って出かけませんでした。天気予報ってすごいですね。