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「約」100pv「約」100名の危険

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先日OracleOpenWorld Tokyo 2009に行きました。噂の通り石を投げればCIOに当たるんじゃないかというほど多くの企業のCIOの方が参加されたようです。ある大きな企業の役員の方が自社の会社概要を説明しているのを聞きました。

「弊社は200X年X月1日現在で社員数が約5000名でして……(略)」(5000というのは適当です。)

これを聞いてうーんと思いました。何千名の会社だと刻々と社員の人数も変わるでしょうから1名単位で「5321人です」というのは難しいでしょう。ただパワーポイントで「何月何日現在5432人」と書いてあるところを「約5000人です」と言い切ってしまうのはどうでしょうか。私はその会社とは取引がなくどういった社風かをよく存じ上げませんが、一人の会社員として寂しく思います。部署の歓送迎会では部長が「これで●●部も45名。がんばっていきましょう!」と盛り上げることがありますが、これで部長が「うちの約50人でがんばっていきましょう」となると締まらない感じです。自分は「約」の一人で、一人くらいはいてもいなくても丸められてしまうのか、というところが寂しく感じます。会社員でなく会社役員である方々に置かれましてはぜひ正確な数値が投影されているような状況では「約」を使わないでいただきたいな、と思いました。

かくいう自分もブログを書いていて「この記事は100PVか。」と思うことがあります。これも同じで、100PVといったら100人の方に記事を読んでいただいたことになり、101PVといったら101人の方に記事をよんでいただいたことになります。(ボットとか先読み系の拡張ソフトもありますが。あとPVというよりUUが重要ですが。)長らく書いているとそのあたりを「約」でしか把握しなくなってしまいますが、自分が発信した意見が届くということを「約」で考えてよいものか、と思いました。

今日はオルタナブログで知り合ったアキヒトさんとお話をする機会がありまして、ブログについても色々と貴重なご意見を聞かせていただきました。総じて感じたのは読んでもらえることは素晴らしいことで、やはり「約」で片付けられるほど軽くはないということです。かといって萎縮することなく積極的に発信していくことで、webによる淘汰圧を利用して世に対して価値のあることを発信できたか、できなかったかということを「約」でなく認識できることは素晴らしいことであるように思いました。(ということを口頭で議論したわけでなく、心の中で感じていました)

『涼宮ハルヒの退屈』中の『笹の葉ラプソディ』でハルヒは宇宙に向けて「私は、ここにいる」というメッセージを発信しました。自分も同じく、これからもwebの向こう側のひとりひとりに向けて「私は、ここにいる」という思いをこめて文章をつづっていけたらいいなと思います。

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