お蔵入りしたものほど愛おしい
システム開発をしていると、何らかの原因で「お蔵入り」してしまうプログラムやシステムがあります。
ということを思い出したきっかけは、オルタナティブブロガーであるマリコさんのエントリ『お題を考えているのは私なのに落選するのはどうして??』でした。エントリにあるリンク先を辿っていくと「ボツ作品集」というところにマリコさんが書いた獅子舞があります。数多の獅子舞が描かれていますが、獅子舞の口の中に演じ手を書き込んだのはマリコさんだけのようですね。ユニークで可愛らしかったです。
システムの開発をしていると、予算・期間の都合、予期せぬミドルウェアのバグ、OSのバージョンアップなどに伴ってお蔵入りしてしまうプログラムやシステムが発生します。お客様の都合の場合はお蔵入りした時点までに投入した費用を負担してもらって開発を中断することになります。自分達側に都合がある場合は自分達で開発費用を負担しなくてはなりません。特に、開発したものが本番環境で動かなかったために急遽別のプログラムを作成し直したような場合は別の費用もかかってしまって大変です。
手塩にかけて作ったものが日の目をみないとなると、前者のパターンも後者のパターンも本当に悔しいです。開発が中断してしまった場合でも、権利関係に問題がなければ自分の休み時間などを使ってコツコツと続きを作業し、開発支援ツールの一部として蘇らせるなどの経験がある方もおられるのではないでしょうか。そういったシステムやプログラムほど細部の構造に至るまで長く記憶に留まることが多いように思います。
私の手がけた新システムの提案の中でボツになった企画がありました。お客様の業務の特徴を考えると相性が合わなさそうなシステムでしたので日の目を見ることなくお蔵入りしましたが、自分の中では忘れずにいました。そしてある日、社内で特許化できそうなアイデアの募集があったので応募してみたところ、出願の申請まで至りそうな感じです。確かにシステムに関する特許は認められる確率が低いですし、その審査に長い期間が必要です。しかしもし認められた暁には、将来この案件を提案し直す時に「特許を取ったアイデアです」ということは有効なアピール材料になるように思います。何はともあれ、忘れ去らずに暖めていて良かったと思いました。
リリースしてしまったものは手元を離れてしまいますし、稼働しているものを修正したり改良したりすることが難しくなります。しかしながらお蔵入りしてしまったものはいつまでも手を加えることができますし、思い立ったら特許にしたり、(関係者と調整さえつけば)自分の手でフリーウェアとして公開してしまうことも可能です。思えばNHKのプロジェクトXでもそのように個人の愛着で暖められていたものにより会社の危機を乗り越えることが何例か紹介されていたように思います。
マリコさんの獅子舞は残念ながらボツ作品集入りになってしまったわけですが、私はこういった「ボツ作品集」のようなものが好きです。卵巻きのハジ、欠けたお茶碗、本体を傾けないと再生できないステレオなど、どこか不完全なところがあるものが持つ独特の魅力に惹かれる人は少なくないように思います。お蔵入りしてしまったシステムほど心に残るのはそういった理由からかもしれません。