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夏休み就職インターンシップの思い出

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大学3年生の今頃の季節にユーザ系SIerの夏休みインターンシップに参加しました。
今でこそインターン情報を集めたポータルサイトなどもあるようですが、
当時(2001年)はインターンシップがオープンで募集されることは珍しく、
大学の就職部がインターンのとりまとめをしていました。

京都市内の大学に通っていたのですが、インターン参加企業に
名古屋の会社がありました。その企業に関西から参加するには
名古屋までの交通費および宿泊費が発生するため、
人が集まっていませんでした。
「山口君は実家名古屋でしょ?この会社どう?」
と薦められたので、なにかの縁かと思ってその会社に行く事にしました。

インターン期間は2週間で、10人ほどの学生が集まりました。
インターン報酬を出すという企業もあるそうですが、
その会社では特にそういうのはありませんでした。
その代わり昼食代と打ち上げの飲み会代は負担してくれました。

私は趣味でPC自作をやっていたり、中学の時にn88-BASICをやっていたため
コンピュータには詳しかったのですが、システム開発というものを理解していませんでした。
文系・理系含めて就職活動前にシステム開発がどんなものか
認識している大学生というのは少ないと思いますが、私も「わかっていない人」でした。

インターン企業が入居するビルはセキュリティ設備が整っていましたので、
セキュリティカードを渡されてセキュリティゲートをくぐる必要がありました。
かなりわくわくしました。「艦長よりホロデッキ。転送を頼む。」とか言いながら
男子同士で騒いでしまい、情報システム産業におけるセキュリティ確保の重大性に
思いを馳せるということは1秒もありませんでした。
今では厚い鉄の扉を通るたびに黄色く表示された「ハロン消火設備」の文字を見つめて
サーバの稼働存続が何よりも重視される世界の厳しさに思いを馳せています。

また、その建物はデータセンターとしての電源設備も備えていました。
別の系統から2つの電源を引き、さらに巨大発電機が置かれていました。
道路を走っている乗用車よりも大きいように見えました。
巨大発電機は普段は停止しているのですが、停電になると稼働します。
巨大発電機には数日分の石油燃料が備蓄されており、
完全に停電してもデータセンターとしては機能を保つ事ができるとのことでした。
発電機はその巨大さのため、出力が安定するのに時間がかかるそうです。
それまでの時間をつなぐため、バッテリーが数百個も立ち並ぶ部屋がありました。
その光景がまるでHAL-9000の部屋のようだったので「I'm afraid I can't do that」
と言って参加した男子達で喜んでいました。

もうそのデータセンターだけでもお腹一杯だったのですが、
更にセキュリティ度を高めた施設にも案内されました。
その建物の周りは高い壁で囲まれていました。
夏休みだったので少年が壁でサッカーをしていたのですが、
ボールが中に入ったらサイレンが鳴っていました。
インターン学生向けのサービスかと思ったら
普段からそのレベルで運用しているそうです。

建屋内にはベルトなど金属製品をはずさないと立ち入る事もできません。
何で探知しているのかわかりませんが、ゲートを通過する際に
フロッピーやCDを携帯しているとアラームがなります。
小銭も用いる事ができないので、社員証がお財布代わりです。
中にはキオスクのような売店と社員食堂があるため困りません。

その施設で特に感動したのは、テープチェンジャーです。
無人でテープライブラリーからテープを取り出す姿に萌えました。
赤いバーコードでテープを探しているところはどこか
HAL-9000ぽくて良かったです。そんなことに感動していた自分が懐かしいです。
今はDATだろうがLTOだろうがテープを扱うのも普通の事になりました。

それよりも更に感動したのは印刷機です。ロールに巻いた
長い紙を3つくらいのプリンターを直列につないで
何度かにわけてインクを載せていきます。
1つ目のプリンタを通過すると、真っ白だったロール紙に
良く見たことのある携帯電話会社のロゴや枠が印刷されます。
中間のプリンタを通過すると、定型の文面が印刷されます。
そして最後のプリンタを通過すると、1人1人違う名前・住所・料金が印刷されていました。
スループットは秒間数件とかいうオーダーだったと思います。
家庭用のプリンタと違い、運転中は紙が流れるスピードが
早すぎて何が印刷されているのかまったく読めないくらいでした。
更にすごいのはそのあと、紙をぴったりA4サイズに切断して3つ折りにし、
パンフレットを差し込んで封筒に入れてダンボール箱に詰めていました。
ピタゴラスイッチとかそういうのが好きな人にはたまらないと思います。
これはすごい場所に通してもらったもんだと思ったら、案の定テストデータでした。

これでは物見遊山に行って帰ってきたみたいですので
インターンで何をしてきたか紹介します。
上の話は最初の2日間だけでした。
その後は10人を2グループに分けて「システム開発とは何か?」を実習しました。
複数人で「何を作るか?」を話し合い、決まった事は足さず、引かず、
正確にメンバーで共有する事。その段階で決まった仕様に対して
きちんと設計しておかないと、分担して作ったプログラムはなかなかつながらない事。
テストというものが重要であること、などでした。
1人が思いつきで「こうしたほうがうまく行くかも」と思っても、
まわりのプログラムへの影響を考えると変更できない、という状態も経験しました。

もしその企業が、自社への採用数につなげるためだけにインターンをしていたのなら
物見遊山させて、ゲームでも開発させて、適当にもてなして終わりでよかったでしょう。
しかしその企業では、システム開発の苦しい部分まで見せてもらえました。
担当者の方からは「間違ったイメージを抱いてこの業界に就職して来られるのは
お互いにとって大変な損失である。当社に入社するかしないかという以前に
システム開発という世界に飛び込みたいか、そうでないかを
このインターンで見極めて欲しい。『向いてないわ』という人が
当社に来ていただけないことは残念だけれども、
就職した後に『やっぱ向いてなかったわ』とい言われるより
ずっとお互いのためになる」ということを聞きました。

結果、10人のうち4人くらいはその会社に入社したように記憶しています。
私のように、その会社とは別のSIerに就職したものが3人くらいでした。
他の人は別の業界に行きました。

私はコンピュータ好きな学生ではありましたが、
インターンで「地元が名古屋でしょ」という理由でその企業を
紹介してもらっていなかったら、きっとSEになっていなかったと思います。
今でも思い出したように商学・マーケティング絡みのエントリを
書くときがありますが、どちらかというとそちらの方面に興味を持っていました。
しかしその時に体験したシステム開発のおもしろさと完成したときの
感動が忘れられず、この業界に就職する事になりました。

当時はインターン企業がしてくれたことの大変さがわからず、
昼食代くらいしか負担してもらってないように勘違いしていました。
あれだけのセキュリティ施設に学生を通すための申請書、
学生の急造開発チームに張り付けた正社員の体力、
プログラムを作成し、大学に参加募集を通知してくれた人事部の作業など、
とんでもなく大変なことだったと思います。
就職してから初めてその大変さを想像できるようになりました。

おかげさまであれから6年ほど経ちましたが、
私は元気にシステムを開発しています。
ライバル企業同士になってしまいましたので
残念ながら直接ご恩返しをすることはできません。

代わりにと言ってはなんですが、もし「インターン」というキーワードで
拙ブログに学生さんがやってきたら、私がわかる範囲内で
相談に乗ろうと思います。もしそういう人がいたらコメントください。

お世話になったインターン先の皆様、その節はありがとうございました。

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