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「エンガワ=縁側」は、完全な「家の中」でも「外」でも無い「宙ぶらりん」な空間。そこには誰でも気楽にぶらりと立ち寄れて、しゃべったりお菓子を食べたり。情報交換や一休みに飽きたら、すいと立ってまた自分の仕事に戻って行ける。そんな風にゆるくて、ちょっと元気をもらえる所。そんな皆が好きな「縁側」で、いつも空を見上げながら何故か「背泳ぎ」をしている…そういう雰囲気のあるブログを綴っていきます。

「リーダー」ってなんだろう...?

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大変ご無沙汰しております。。(汗)今頃ですが、新年も宜しくお願い致します。

ところで、先日ですがこちらの番組の収録スタジオにひっそりと紛れこんでおりました↓

2012年1月21日(土)午後7時30分~(途中ニュース)~10時13分 NHK総合テレビ

シリーズ日本新生
生み出せ!"危機の時代"のリーダー


...正直あまり向いてないテーマ(笑)だったような気もするのですが、以前の「日本のこれから」に引き続き、自分の何かしらを面白がってお呼び頂いたからには、少しでもお役に立てるように頑張ろう!と思っていましたが。

会場ゲストさん非常に多く、発言の機会が2~3回しか無かったのでさほどは恥を晒さずに済んだかと...(爆)

もし番組内容にご興味お持ち頂けた方は、再放送かオンデマンドで配信あるかもしれないので、NHKさん公式サイト情報にご注目下さいませ。。

さて。

霞が関とか政治とか企業経営とか、そういうのは元より自分などに語れるテーマでもないだろうし。じゃあ何を考えていたんだろう?と思い出してみると、やっぱり自分の立場としては、「リーダーの横に立って見ている」ということになるのだろうと思うんですね。

これ、収録中は見るからに時間なくて話せなかったんですけど。

自分の中で「リーダー」と言った時に、必ず思い出すのが、もう数年前になりますけどある船に乗って旅した時の、その船に途中から交代で乗り組んだギリシャ人の船長さんのことで。

記憶にあるのは船旅も終盤に差し掛かった頃の、日本帰国前の最後の寄港地を目前にして、その航路上に超大型と言われる台風がまっしぐらに迫りつつあるという、かなり緊迫した状況下でした。

我々が乗っていたのは船齢ン十年の古い船でしたが、一応遠洋クルーズ船なのでそこそこ大きな船で、それでも二階建ての家ほどもある巨大な波が荒れくるう太平洋上では、まるで木っ葉のようにぐおーんぐおーんと激しい振り子運動に船内のどこに行っても巻き込まれ、キャビンを結ぶ廊下からは揺れで真っ直ぐに歩けない日本人客の姿がほとんど消えてました。(清掃スタッフの外国人らは座りこんで談笑してましたけど)

自分は幸いにも重度の船酔い体質ではなかったので、毎日クルーの事務所の壁に張り出される「海図」を見に行っては、ああ今日こんだけしか進んでないのか~とか思っていました。人間で言うとおじいさんくらいの古い船が機関フル稼働の全速力で走っても、真正面から大波に向かっている状態なので、遅々とした前進にしかならない訳です。

以前航海の途中、クルーが「古いことは古いけど心臓部であるエンジンが壊れたことは一度もない、優秀な船だ」と自信を持って話すのを聞いていたので、航海に対する心配は無かったです。けれども、このまま港に着く前に台風の中心に捕捉されてしまうのではないか...?という恐怖感みたいのは結構リアルにありました。

そんなある日、ギリシャ人の船長が船尾の大ホールに乗客全員を集めました。何事だろう?と思って、揺れに足を取られながら動ける人はどうにかみんな集合しました。

その場で船長の口から「本来このクルーズの予定にはもう一つの寄港地があるが、そこには寄らずに真っ直ぐこのまま日本に向かう」と告げられました。

もともとそうなりそうだという噂にはなってたので、自分とかはそれほど驚きませんでしたが。この時、数人の乗客から「とんでもない!」という声が上がったのです。それは年齢層の高い、ついでに船室の料金も高いほうのクラスに滞在している人達で、「我々は寄港地全部に立ち寄る前提ですでに金を払っているのに、それを無視するつもりか!」みたいな苦情を運営側に対して言い出したのです。室内が微妙に険悪なムードに...。


騒がしくなりかけた会場に落ちつき払ったギリシャ人船長の声がマイクを通して響きました。通訳によると、それはおおよそこういう内容でした。

「このまま日本へ向かう。私は船長として、ここにいる全ての人間の生命を預かっているからだ。皆の命を危険にさらす選択はありえない。」

特に強い口調とか、大仰な身振りとかいうものはありませんでした。

むしろ淡々とした口調であり、静かな船長の態度でした。

船長は、この航海中に我々が通過してきた別の海域で、この船よりもはるかに大型の最新鋭の豪華客船が嵐につかまって全船の電源が失われる「ブラックアウト」という状態になって数日間漂流し、やっと救助されて港に数十台の救急車が駆け付けた、という話をしたりしました。この船にも今まさにそういう危険が迫っていると。

自分の船乗りとしての長い経験から、このままの針路と速度で進めばきっと嵐の手前で港に辿り着けるだろう。私はこの船で皆さんを無事に日本まで送り届ける。どうか私とクルーを信じて、指示に従って欲しい。

...だいぶ記憶が遠くなってきていますが、だいたいこんなようなことを話してくれたと思います。そして、最終的にその時のその場にいたほとんど全員が、船長の言葉を納得して受け入れました。(文句言ってた人は知りませんが)...もっとも、乗っているだけの我々には他に選択肢など無いんですよね。足もとの鉄板の下はそのまま水深何千メートルという太平洋のド真ん中では。

でも、状況としては結構怖いはずなんだけど、船長の確信に満ちた話し方には、不思議と「この人の言うことを信じてついて行けば死なないですみそうだ」という感じがあって。...あれが安心感?というのでしょうか。

事実それから、我らがおんぼろ高齢クルーズ船はまさに一日というすれすれのタイミングで大型台風を振り切って、安全な湾内に滑り込んだのでした。(後でニュースを見て驚いたのですが、某有名な大型練習帆船が座礁したあの時です...マジ肝が冷えた。。汗)

船を降りる時、挨拶のためにデッキでにこにこと皆を一人一人見送ってくれた船長の、握手した手がとても大きくて温かかったことは今でも覚えています。「アナタのおかげで無事に生きて帰れました。有り難う。」って下手くそな英語で言ったつもりだけど、笑顔の船長にはちゃんと伝わっていたかのなぁ...。


この時の経験を、私は本当は「リーダー」の番組の収録の時に話したかったのですが、ちょっとそれは時間的に無理でしたね(笑)

あれから自分が得た結論というのは...「リーダーが正しくその能力を発揮するためには、そのリーダーの選択を信じて、自分達も重要な何かを託し、まかせた仕事を応援する人達こそが重要なのだ」ということでした。

あの嵐の船上で、船長は現場のリーダーであったけれども、船と、船旅(ツアー)そのものは船長の持ち物ではない。彼はいわばその役職によって「雇われてリーダーをしている」状態です。「俺は金を払っている。その金で雇われているお前よりも、俺の方が偉いのだ。だから俺の言うとおりにしろ」と言われることは普通にある。

でも、その一部の客の要求が「船の全員の生命と安全」と対立するなら、船長はそれを拒否しなくてはならない。

その根拠になるのは「自分はここに居合わせている誰よりも、海の上での経験において勝っており、この船員としてのプロフェッショナルなスキルによって航海中の全権を委任されている、『船長』だからだ」という自負と責任感でしょう。だからこそ、全てのクルーや乗客は彼の指示に従うし、絶大な尊敬と信頼を寄せるのです。

少なくとも、船の上で「俺にリーダーをやらせろ」と言うことは、「俺にお前の"生き死に"を任せろ」と言うに等しい。

それくらいの覚悟と、様々な試練や困難を乗り越えてきた人だという圧倒的な「オーラ」みたいなものが、『船長』という言葉にはあって、それは単に「リーダー」と言う時の何倍も何十倍も重いものだったんですよね、あの時は。

(...だから、つい最近のイタリアで豪華客船がひっくり返った例の事故のダメダメ逃亡船長の弁解なんかを聞いてたらちょっと信じられない気分ですね...叱り飛ばしてた沿岸警備隊長が英雄視されてるとか言ってましたが、あれがむしろ船員の常識としたら普通なんですよ。。)


こういう経験があって、だから私にとっては「リーダーとは何か?」と言われたら、それは...

「この人の選択に、自分達の大事なものを信じて預けてみよう」という相手を、自らの眼で選ぶこと、―それは「信託」する側にとっての責任―...そして、一度選んだ以上はきちんと任せて、とことん応援するということ...そんな感じです。

だから選ぶ側のこちらの眼が曇っていてはいけない。「嵐の海の上にいるように」神経を研ぎ澄ませて、動物的な生命に関わる本能の嗅覚を鋭くしていないとダメなんだろうと思います。でないと、多くのものを失ってしまう。

リーダーが求められる時代だからと言って、単純に全ての人がリーダーになれる社会なんてものは不可能です。だったらなおさら、「リーダーを真にリーダーたらしめる側」=つまり「リーダーを選ぶ我々自身」こそが、その意識を問われているのではないでしょうか?


結論というような結論は出なかったあの番組で、全く場違いにこういうことを考えてた人間もいたという、そんなお話でした(笑)


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