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ネットベンチャー最前線での事象をアカデミックに捉え直し、オルタナ読者へ思考の刺激を提供します

2011年の最後に、東京で震災を経験したから伝えたい、1つの絆の物語

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昨日、今年新たに出会った友人たちと、ゆっくりと一年を振り返る会話をしていて、震災から始まった一連の流れ、あまりに気持にぐっとくることがあったので、年の最後に、このエントリーにてご紹介したいと思います。

そのテーマは、「震災があって、本当の人間関係を揺さぶられて、戸惑って、もがいて、新たな仲間に出会えた」というお話です。

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1.地震が発生して(東京の場合)最初にしたこと

地震が発生したのは、週末金曜日の夕方手前、多くの人たちが、自分の職場で、いつも一緒に仕事をしている人たちと、まさに業務を行っているタイミングでした。

地震の直後、多くの人たちは何をしたか?それは、自分が最も大切にしている人たちに向けて、連絡を取ろうとしたことでした。そして次にしたのは、なるべく早く、その大切な人たちのところへと、駆けつけようというアクションでした。

連絡を取ろうとすると、携帯電話はつながりません。幸い、私の場合は手持ちのスカイプ外線発信機能を使って、他の携帯よりもつながりやすい環境を持っていましたが、妻はたまたま保育園に子供を預け、美容院に出かけていました。僕は彼女にTELをすると、つながりましたが、僕も彼女も、保育園に電話をつなぐことができませんでした。そう、二人にとって一番大切な相手って、やっぱり子供だったんですね。

そんな風にして、今思えば、自分が大切にしているという相手順に、僕は連絡をとっていっていました。そして思い出したのが、会社の同僚であり(※社外に外出していたため)、会社外の仕事のパートナーたちであり、友人でした。

そう、この行動が、実は「自分にとって、本質的に大切だと思っている相手って、誰なんだっけ?」ということを、如実に浮き彫りにしていました。

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2.地震が発生して、次にしたこと

こうして、夕方になり、夜になり、東京ではJRが全線ストップし、ほとんどの電車は運休状態。
ここで、東京郊外に住む多くの人たちは、何時間かけてでも、家に向かって帰宅していこうとしました。

そして、個人的なのかもしれませんが、この、帰宅・避難をすることで、今までに見たことのないような、とてもとても多くの人たちが町に溢れかえり、道に溢れかえり、その道すがらそこらで、壁や建物が崩壊しているという姿は、金曜日の夕方ということで会社にいた多くの人にとって「普段、仕事をしているこの何気ない風景、環境は、実ははかなく、壊れてしまうものなんだ」という感覚を与えました。

朝、いつものように電車にゆられて、いつものようにちょいとコーヒーを買って、いつものように集中し、時にぼーっとして働き、いつものように・・・としている仕事の日常が、こんなにもあっけなく崩れ去ってしまうものなんだなということを、嫌というほど焼き付けられました。

3.そして、放射能のストレスがある中で感じたこと

こうした経験を元に、3月の中旬以降も、福島での原発のニュースが刻々と入り、明確にどこまで何がどう危険なのか、誰もが手探りな、とてもストレスの高い日々が続きました。

昨日、友達がここで言っていたことは「この職場は、自分がいるべきところではない、本当は違うんだ」ということに気付いた、ということでした。

そう、先ほどの自分が連絡を誰と取りたいかというアクションを通して、直接的・間接的に、そこに、目の前にいつもいる同僚が含まれているか、含まれていないのか、誰しもが無意識のうちに感じ取っていたのです。

これは、すべての人が今の会社がいるべきところでないと感じたということでは、決してありません。今いる会社・職場が、本当に自分のつながっていたい大切な人たちなのか、それを浮き彫りにしたのです。

これは、普段「この日常は変わりようもないし、変わることがないんだから」というこころもちの中であれば気にならない、スルーできる水準のことであっても、それが「はかないんだ」ということを感じ、そのつながりの違和感に気づいてしまったときには、否応もなく、本人に迫ってきます。

こうして、その友人は、自分の職場にステイすることを辞め、動き出すことを決意しました。

4.Twitterによる反応が、属性でなく価値観で握れる仲間を浮き彫りにしてくれる

さて、こうして転職活動などを行っていく中で、震災に関連する様々な問題や事象(たとえば、水不足とか)が発生し、それまで何気なくつながっていたTwitter上でうっすら知っているひとたちも、感情をこめて様々な反応をしました。そしてさらに、グラフで見てわかるように、情報インフラとしての堅牢性を示したTwitterには、多くのユーザーが瞬間的に集い(3月のユーザーの伸び)、さらに、日常のメインの情報源としてTwitterをこまめにチェックすることで、普段よりも閲覧頻度が上がり、いつもは目に留まっていなかった、さまざまなリアクションが、目に入るようになりました。

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そうすると、普段はそれほど接点のなかった友人・知人が、本当は何に心動かされ、どういう反応をする人なのかという、価値観そのものを知ることができるようになったわけです

これは、職種や業界、それまでのスペシャリティなどをベースに固まってくる「会社」が持つ、「属性」の共通性とは、対照的な事象だったのかもしれません。

5.より密な行動を、Facebookが可視化し、より密な関係が生まれる

こうして、Twitterで「この人近いな」「いいな」と思ったときに、多くの人が取る行動が、「Facebookで友人になる」という流れです。
FacebookとTwitterとの最大の違いは、Facebookはほぼほぼ、その人の行動のログのようなもので「何を発信する」という制限が少なくなるため、よりリアルの場面で声をかけたり、一緒にアクションを起こしたりすることができやすくなるわけです。

そう考えると、先ほどのグラフで、Facebookのユーザーの伸びが、Twitterよりも時間おくれでじわじわしているのも、「震災影響でTwitterをよく使うようになり、そこで見つけた”価値観の合いそうな人たち”同士が、徐々に徐々に、つながっていった」ことを示しているのかもしれません。

このように、Facebookでつながった人たち同士は、今度は、何気ないアクションとして、自分の興味を持ったものに「いいね!」していくという行動を続けることで、どのような活動やテーマに興味があるのか、互いに浮き彫りにしていきます。

6.東京電力の置かれた状況が、大企業も絶対ではないことを体感させた

さて、こんなタイミングで、東京電力の企業存続が問われる事態となりました。なにせ、電力会社といえば、モノポリーというカードゲームでも「電力会社」「水道会社」という風に、他の企業とは別格の、公共性が高く、安定した収益をもたらす企業として扱われるような、大企業の「絶対存続」の代名詞のような存在です。

そんな東京電力が、あっけなく、膨大な損失を計上し、本当に来年存在するのかどうか、誰にも断言できないような状況に置かれる。

これは、言葉で「これからの変化が激しい時代に、大企業に所属することはリスクである」という風なことを何百回、何千回聞くのよりも、はるかに直感的に、「大企業に勤めることの絶対性」を突き崩しました

今の職場、会社が自分のいる場所でなくても、その代替選択肢が「転職」だけでは必ずしもなくなり、NPOの立ち上げや、小規模のベンチャーの立ち上げといった、純粋に自分が付き合う仲間を選びやすい環境に、後押しをしました。

7.そして

そして、この記事の最後にお伝えしたかったのは、昨日参加した友人の、この一言です。
友人が、まさにTwitter、Facebookでつながった別の友人2人と、今年の半ばに転職活動をしており、内定をもらったときに、相手の友人が一緒に起業することを持ちかけてきたそうです。

そのとき、彼女はこう考えました。

転職は、また次にするチャンスがあるかもしれないけれど、この仲間が揃うのは、今しかない

今年は、本当に私も多くの出会いがあり、多くの人とつながった一年でしたが、昨日聞いたこの話は、そんな一年のことを、深く刻んでくれる経験でした。

2011年の年末に、そんな「つながり」について考える時間はいかがでしょう?

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