未来に手触り感を~MITメディアラボ石井教授のセミナーに行ってきた~
石井先生の話を聞いて来ました。
一言で言えば、
「過去と未来へ”手触り感”を持つことができれば、”過去ー現在ー未来”は一体化し、それを基盤として、ブレない視座と軸を獲得することができる」
という気付きを初めとして、多くの刺激を受けた時間でした。
そこで、この記事では、そんな石井先生への感謝の気持ちを込め、先生が伝えてくれたことだけでなく、それを受けて、自分が考えた仮説や、自分の観点からのインプットを表現したいと思います。
今回の要旨です:
1.表現には「ログを残し、過去と未来のつなぐ」力がある
2.表現には「人と人の脳をつなげ、圧倒的創造性を発揮させる」力がある
3.表現には「個人の思考を深化させ、高い創造性へ結びつける」力がある
4.MITメディア・ラボの「表現」に対する深遠な姿勢
5.過去と未来への手触り感を持つための処方箋
6.石井先生への3つの質問
それでは、本編です。
1.表現には「ログを残し、過去と未来のつなぐ」力がある
過去と現在が繋がるという感覚は、テクノロジーの進化によって、急速に深まっている。
表現され、ログが残っている過去の人達は、そのアーカイブ力によって、過去と現在を行き来している。
例えば、ツイッターのBOTによる名言で自分が様々な思考の刺激を受けることで、現在の思考や思想、自分が切り開いた観点が、後世の人たちに影響を与えることを実感できる。
例えば、石井先生がセミナー中に紹介した、石井先生の母上の詩をBOTにしたものによって、いつでも過去の肉親の考え、自分のベースとなる人の影響を、心に刻むことができる。
個人が表現することが容易になり、過去のことを頻度高くリマインドするのが容易になることで、「過去は分断された想い出ではなく、現在とつながっている。」「未来から見れば、現在は分断されるのではなく、つながる。」ということを、実感することができるようになる。
これは、生きていく上での「過去」に対する実感を、大きく覆す観点。
アメリカの著名な心理学者チクセントミハイが「フロー理論」の中で紹介しているように、「自分が何かをすれば、それによって対象物に変化を与えることができる」という実感、「自己統制感」があることで、その対象物が自分ごととなり、本能的に取り組むことができるようになる。
そして、過去に対する実感をテクノロジーによって大きく変化させられた我々は、未来は僕らにとって、自己統制感の対象であり、影響を与えることができる対象であり、つまりは、自分ごとであり、自分と一体になる、ということに気付かされる。
こうして、「過去ー現在ー未来」の3つの要素は一体化し、その全てが自分ごとになることで、僕らは実感値として「過去ー現在ー未来」が一体化したものを、自分が考える上での判断の軸であり、視座を持つ基盤として考えるようになる。
これは、左脳的に頭で考えてそうなるものではなく、感覚的に、手触りを以って初めて得られるものだ。だから、実際にBotを使って頻度を高めたり、未来に向けて物事を考え、それが残るような営みを行い、未来へのログを自ら遺すことで、初めて実感値になっていく。
過去の偉人の多くが、伝記を記したのも、この視座が強かったかもしれない。
現代においては、例えば石井先生は、こうしたセミナーにて後進に丁寧に情報を提供し、惜しみなく終わったあとの時間で名刺交換し、ツイッターで丁寧にリアクションすることで、こうした感覚を得ているのかもしれない。
2.表現には「人と人の脳をつなげ、圧倒的創造性を発揮させる」力がある
表現の2つ目の価値は、他の人の脳みそとの連動、即時の情報交換による刺激と、そこで精製されていく圧倒的なアイデアであり、互いの成長だ。
これをするには先ず、自分の意見と、相手の意見の研ぎ澄まされた独自性が大切になる。グループジニアスのキース・ソーヤなども指摘しているように、個人の意見、それまで積み重ねてきた視座が価値を発揮するためには、
「まず、互いに相手に影響されずに、自分の持っているものを出し切る」
という点が重要。例えば、場の空気を呼んだり、ちょっとやそっとのビビッドなアイデアなどに触れて、コロッと変えてしまうような視座では、そもそも互いの相互作用を活かす、活発な議論で貢献をすることができない。
この状況を石井先生は「徹底議論」と位置づけているが、徹底議論を成立させる大前提は、この「日々研鑽し、磨き上げた視座」に他ならない。
(そして、その視座を厚みのあるもの、しっかりとしたものにしてくれるのが、前出の「過去ー現在ー未来」が一体になったものを基盤とする、ブレない、揺るがない一体感となる。)
こうした軸がしっかりしていることを前提としたとき、もう一つ「徹底議論」を起こすために重要な要素として「即時性・同時性」が挙げられる。
思考は、互いの脳みそがシンクロし、互いに0.5秒レベルで意見を交換しあうことで、まるでグリッド・コンピューティングを、異星のシステム同士で行うようなすごいシステムに進化する。
だからこそ理想は、言語ではなく表情などもセットになり、視覚・聴覚・触覚・嗅覚までもを総動員した、リアルな場での「徹底議論」となる。
そして、物理的な制約がある中で、これに近い状況を再現するのが、ツイッターによる即時のアイデア表出と、そこに対する即時リターンとなる。
(と、ここまで書いてみると、石井先生がツイッター馬鹿である理由に、妙に共感してくる)
3.表現には「個人の思考を深化させ、高い創造性へ結びつける」力がある
そして、表現の持つ3つ目の力が、そもそもその表現を行う中で、自分の脳内で高い学習が起き、散発的だった思考の種同士が統合され、新たな発見となる点にある。表現のプロセスこそが、思考のプロセスであり、創造のプロセスなのだ。
例えば、このブログ記事を制作していく中で、断片的にメモをした20〜30のポイントを構造化しようとすると、初期的な論理矛盾や、掛けあわせて考えると深みを増す内容などが、ポンポンと出てくる。
その内容を、誰がターゲットで、どんな風にしたら理解してもらえて、それによってこんな変化をもたらしたい、などとイメージしながら書き進めると、どんどん思考が再統合・再解釈・最想像、というステップを踏んでいく。
これは、表現手法を変化させると、表現による思考のタイプも異なってくる。
例えば、ツイッターによる表現の場合であれば、140字で伝える(正確には、リアクション余裕を考えて、110字くらいが適正)ために、何をそぎ落として、何を相手のメタファ・アフォーダンスに頼るのかを想定する。瞬間の反応を期待した、思考の急速パッケージングを行う。
例えば、フェイスブックでのシェアであれば、それを画像としてまとめたり、インフォグラフのように、映像的・絵画的に変化する。特定の相手を想定・コントロールできるフェイスブック上のシェアでは、ツイッターとは違った、複雑な特定前提や文脈を前提とすることを表出する。
4.MITメディア・ラボの「表現」に対する深遠な姿勢
以上のように、表現するということには、
・「過去ー現在ー未来」を感覚として一体化させてくれる力
・現代の他の人との脳を直接コネクトし、圧倒的な創造性を発揮してくれる力
・思考を深め、断片を統合し、脳の力を最大限発揮してくれる力
という、3つの素晴らしい力がある。
そして、その力は、個人の能力を最大限に発揮させ、多くの人同士のインタラクションによってさらにその創造性を高め、それが「過去−現在ー未来」という大きな「一体」に対して貢献し、続いていくという充実感を与えてくれる。
この「表現すること」の持つ深淵なる力について、表現をテーマとしているMITメディア・ラボの石井教授が語ることへの、圧倒的な腑に落ち感を感じることができた。
5.過去と未来への手触り感を持つための処方箋
というわけで、この「表現の力」に基づく世界観に自分も貢献するために、以下のことに取り組んでみてはどうだろうか?
■「過去ー現在ー未来」とつながる
・まずはBOTのフォローによって、過去とのつながりを感じてみよう。
てっとり早いのは、石井先生のフォローしているBOT達を、下記URLより自分で探しだしてフォローしてみるという手。
https://twitter.com/ishii_mit/following
・自分の両親や祖父・祖母が残した表現を、日記などから集めてみよう。
それから、自分の両親へ「大切にしてきた価値観」「自分ががんばってきたこと」
「人生でいつもわりと役にたった2〜3のこと」といった観点で、話を聞いて、書き留めてみよう
・未来に向けた預言を、日々の表現の中で心がけてみよう。例えば100年先、例えば10年先に自分を置いたとき、そこから見える現代をイメージし、何がこれから起きるのか、どのような方向に物事を動かしていくといいかを、稚拙で構わないから、表現してみよう
・未来がどうなるか?という観点で、友人や知り合いと語り合ってみよう
■他の人の脳みそと連動してみよう
・他の人と、徹底的に議論をしてみよう。ただし、この議論は最初から深いものにするのは難しい。これまでそういった営みをあまりしてこなかった場合は、尚更そうだ。なので、焦らず、毎週一回、4人程の固定メンバーで集まり、2時間程度、深い話をし続けてみよう。その中で、自分の視座を形づくりつづけ、徐々に深い話し合いに入り、互いの脳が相互作用する感覚を身につけ、どんどん場に真剣に、楽しく潜り込んでいってみよう。
・日々の会話の中で、仕事の場面で、研究の場面で、自分の軸をぶらさず、自信を以って表現し、それを伝えきった上で、他の意見との相互作用、他の脳との相互作用を楽しめるようになろう。
・思ったことを、常に軸を持ちながら、ツイッターで即座に公開しよう。シリアスな場面、守秘性の高い切迫した場面こそ、自らの思考が高まっている瞬間なので、そこを逃さず、賢く即時につぶやいてみよう。
■表現する側に回り、様々な方法での表現を試みよう
・人によって表現方法には向き・不向きがあることがトーマス・アームストロングらの研究でも分かっている。なので、様々な表現方法を試し、自分の脳が最も活性化し、自分が最も心地よく発信ができる方法を模索してみよう。
・例えば、石井教授が紹介していたのが、詩人の和合亮一さん (@wago2828) の速射砲。これは、詩という表現形態×ツイッター、という新たな表現方法。こうした取り組みを作っていくことで、施工方法そのものも新しくなり、新たなものが生み出されることとなる。
・表現の方法には、ツイッターのように即時性を重視するものもあれば、ブログ記事、あるいは書籍出版など、じっくりと熟考に適したものもある。さらに、それは文字だけに限らず、他の人へ語ってみる場面を日々の会話の中でトライする、何かのイベントを自分で企画したり参加したりして、そこでの口頭の発表を試す。さらには、音楽や粘度制作・絵画などなど、枚挙にいとまがない。
6.石井先生への3つの質問
さて、最後は、今回の記事のストーリーとは別に、石井先生へお聞きしてみたい3つの質問を、その質問背景も含めて3つ、提示しました。こういったインプットは、わざわざ日本に戻られ、時間を割いてお話いただいた石井先生への、せめてものお返しだという気持ちをこめて、お聞きしたいと思います。
質問1:何年先の未来が視座の範囲ですか?
未来は、何年後までの未来を視座として持つかによって、世界観が変わるかと思います。100年先なのか、それとも1000年先なのか。そのどのレベルまでを考えるべきか、考えるのかは、個人の価値観にも拠るかと思います。
その上で、個人的には、自分たちの世代は、少なくとも自分たちの所業によって発生させた変化のうち、物理的に不可逆性の高い影響をおよぼす世代のことまでは視座に含める必要があると考えます。おそらく、古代に比べて僕らが進化した一つのポイントは、自分たちが何をしたら、何年後まで影響が残るのかを、かなり正確に推定できるようになった点。
なので、原子力を始めとした環境に関する課題を考える際は、その所業によって、どれだけの未来を一体化して考えなければいけないか、その覚悟と責任感が問われているのかとも感じました。
石井先生は、この「一体感を持つ未来の範囲」について、どのような視座をお持ちですか?
質問2:「飢餓感」というパラメータの持つ意味合いとは?
ツイッターでも触れましたが、「飢餓感」は、ナリでいくと以下のような無限ループを辿る気がします。
「飢餓感の高い状況(例 戦後日本)」→「経済発展」→「豊か」→「飢餓感の欠如」→「衰退」→「飢餓感の高い状況」・・・
そして、特に日本はこの「飢餓感の欠如」のステップに来ていて、漠然とした不安や、没落への危機感があるからこそ、石井先生の「造山力」「道程力」「出る杭力」といったものが、日本での講演や、ツイッターでの反応で特に大きいのかな、とも思います。
ですが、この「飢餓感」は、果たして経済面とだけリンクし、過去→現在→未来の流れの中で、安定振動系のように揺り戻していくだけのものなのでしょうか?
個人的には、これは「過去ー現在ー未来」という一体感の中で、飢餓感が相棒とするテーマが変化していくものなのではないかと感じています。
古代であれば「生存そのものに対する飢餓感」、中世〜現代であれば「豊かな暮らしに対する飢餓感」、そして、これからしばらくは「自分たちの存在意義に対する飢餓感」なのではないのかな、と考えています。
先生は、この点、どうお考えですか?
昨日のお話から察するに、「飢餓感」やその他の要素よりも、「如何に、”過去ー現在ー未来”の一体感の中で、自分が受け持っているわずかなこの時間の中で、どうやったら完全燃焼しやすくなるのか?」を重視していらっしゃるようにも思えました。
質問3:現在というスナップショットの中で、自分が一体と捉える範囲はどこまでか?
昨日のセミナーの中でも、ちょいちょい、先生や参加者の方々の中から「日本をどうするか?」「日本人をどうするか?」という暗黙の前提でのやり取りが多かったように思います。ですが、100年後の未来、1000年後の未来を考えると、個人的直感としては地域の壁がどんどん壊れていき、日本という括りだけで物事を考える意味合いが薄れてしまっていくような気もします。
さらに言えば、「過去ー現在−未来」の中で、現代ならばまだ「過去」は、物理的日本の中に制約しても十分自分のルーツとしての大半をカバーしている感覚がありますが、100年先になったら、もはや日本に住んでいる人が、日本だけをルーツとして捉える世界観では無くなっている気がします。
こうすると「過去ー現在ー未来」を一体として捉えようとした場合、先生の感覚の中で「現在」に含まれるのは、どこまでの範囲でしょうか?
最後に、心より、今回のような刺激溢れる機会を下さった石井教授、そして、今回の会を主催してくださった株式会社リクルートマーケティングパートナーズ(http://www.recruit-mp.co.jp/)のみなさま、ありがとうございました。
それでは
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