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ネットベンチャー最前線での事象をアカデミックに捉え直し、オルタナ読者へ思考の刺激を提供します

今回は主張します「ソーシャルを個人の欲求で説明するのは、母乳を軽視しているようなものだ!」

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※本記事は、当初のUP後に周囲の多くの方から、「分かりにくい」「ロジックがつながっていない部分がある気がする」といったフィードバックをいただいたため、8月28日に加筆・削除・修正を行なっております。文中の取り消し線は、その際の修正を反映しています。

フェースブックを中心とした「ソーシャル」について、今後どのような取り組みをしていけばいいか、自分のアカデミックな知的好奇心と相まって今春から特に集中的に調査・研究・実験などを繰り返していますが、その中で気づいたことが1つあります。

それは、「ソーシャル」で起きる様々な事象を説明するためには、「個人の利益」をベースとした動機付けによる説明だけでは、あまりに不十分であるということです。今回は、この点について触れていきたいと思います。

■今回の要旨
*【人は「個人の利益」のために行動する】という観点だけでは、フェースブックなどの「ソーシャル」での事象を説明するのに不十分

*【「集団全体の利益」のために人と人が相互作用しながら行動する観点】(=「ネットワーク観点」)が、この不十分さを補完してくれることを、「なぜ人は選挙で投票するのか?」という例を考えるとイメージできる

*観点が変わると、これまで大切でなかったものに大きな価値が出てくることがある。例えば、母乳は昔は軽視されていたのが「免疫や抗体への寄与」という観点で評価されるようになった結果、とても大切なもであると認識されるようになった。

*「ネットワーク観点」を導入する際には、ロジカルにしっかりとした説明を試みるのが大切であり、YLOGではそれを特に行なっていきたい。

■これまでは「個人の利益」が意識されすぎていた

先般のベストセラーである「SHARE」の中では、以下のようなアダム・スミスの言葉が紹介されています。

1950年代、つまりハイパー消費主義の幕が上がる頃には、人々はまず何より第一に、消費者として自分を意識し、市民としての意識は二の次になっていった。お互いに助け合うより企業に頼るほうが身のためだと思うようになったのだ。集団なコミュニティの価値観よりも、消費者としての自立や「何をおいてもまず私」という心理が先立った。

この件(くだり)は、本質的には「個人の利益と社会全体の利益をバランスよく追求する」ことを理想としていたアダム・スミスの思想が曲解され、上記のような風潮が社会全体に拡がっていたという指摘につながっていきます。
そして、こうしたトレンドは、「個人の利益」ベースの話がクローズアップされ、それに基づいた様々な説明理論や価値観が発達してきたことに繋がっています。言い換えれば、我々は現代での多くの事象を説明するときに、「それは個人の○○といった利益のために人が行動し、起きたことなのだ」という説明をしがちなのです。

ですが、こうした「個人の利益」にフォーカスした説明には、限界があるのもまた事実です。その一例として、「投票の合理性」という例を、ご紹介します。

■投票に合理性はあるか?
この「個人の利益」で説明できない例として挙げられるのが「投票活動の合理性」という話です。
過去数十年のアメリカでのすべての選挙を調査していくと、主要な選挙で1票差で決着したものは0件。
ということは、どの選挙でどこに投票したからといって、個人では、その選挙結果に影響を与えられないということになります。つまり、投票に行くという行為そのものには、合理性がないことになります。

ですが、実際には集団としての「人」を捉えると、別の説明ができます。
例えば、AとBという2つの派閥に別れた村で、それぞれの利益を代表する候補のaさんとbさんが村長選挙に出る場合、自分がAグループに所属しているときに最も有効な行動は、何でしょうか?

それは、Bに所属する人たちをAに寝返らせるということよりも、Aに所属する同胞の投票率を高めるということです。
ここで出てくるのが、そういった密度の高い集団における「強化」という要素です。「強化」とは、数十人規模の身近な人間同士の集団で、下記のようなことが起きることを指します。

1.その集団の価値観に合致し、推奨される行動を特定の誰かが行う
2.集団の中で「その行動は大切だよね」と賞賛され、喧伝される
3.他の人達も、その行動を「いいね!」と思い、模倣し、フォローする
4.結果的に、多くの人がその行動を取る
5.よい成果が導かれ、次回以降1に戻って、さらにその行動が安定的に発揮される

このような繰り返しを「強化」と呼ぶわけですが、選挙でいうと、上記のステップ1の行動がまさに「いつでも必ず投票にいく」ということに該当します。
すると、2のところで「そうだよね、やっぱり選挙に行くのは大切だよね」となり、3→4という連鎖の元に、多くの人が選挙にいくことになるわけです。

これが、先ほどのAグループで起きると、つまり、Aグループの投票率が、継続的に上昇することになります。
不確定で、獲得コストが高い「Bグループからの寝返り」に注力するよりも、1人1人が、選挙に行くという行動をお互いに行い、自分のグループの投票率を高めるほうが、結果的に自分たちの利益に帰する可能性が高まる、ということです。

このように、集団全体での利益へと観点を変えると、今まで説明が難しかったことに、説明ができるようになります。

ちなみに、この選挙の話は個人的には「個人中心」の考え方による説明を完全には脱却していないと思いますが、「完全なる個人視点」での限界を示す事例としては悪くないと思い、ご紹介させていただきました。

このように、従来の価値観での説明によるある事象への説明を試みる際は、「個人と個人を分離可能なもの」(=「個人の利益」)という観点からだけではなく、「個人と個人は、互いに作用しあい、より大きなネットワークや連動帯となっている」という観点(=「ネットワーク観点」)に基づいていくと、それまで説明できなかったことが、説明できるようになるかもしれません。

例えば、こんなこと

▼個人個人の発信・行動が可視化されるから企業はそこへの対応力が問われる

▼自分の個性を出し、他人に共感してもらうことで自分の価値が高まる

▼どのプラットフォームが覇権を握るか、その見極めが難しい

こういった話は、いずれも「個人」の目線での説明かと思います。端的に言うと、

・「個人個人が所属する小規模な集団」全体の利益
・「さらに大きい、社会・人類・国家」規模の利益
といった点、そしてそれが確立されるメカニズムという観点が欠落しています。

そして、それらが欠落している最大の理由は、単純にそういった説明の歴史が、まだまだ浅く、一方で社会の変化が、急激にそちらにシフトしているという、このGAPによるものだと考えています。

■観点が変わると、それまで軽視されていたことが重視されるようになる。母乳の例が、まさにそれを示している。

さて、新たな観点が加わると、それまで軽視されていた要素が、突然大切な要素としてクローズアップされる場合があります。

例えば、数十年前は「母乳」って馬鹿にされてたんですよね。これは、「栄養価」という観点で考えれば、母乳の持つ栄養価はミルクの栄養価とそれほど差がないから、母乳でなくミルクを与えていれば十分、というふうに捉えられていたためです。

ところが、後々の研究で「生まれてきた赤ちゃんに、様々な抗体や免疫を与える要素が、母乳には含まれている」ことが判明し、現在では母乳が極めて重要視されているわけです。これは、「抗体や免疫への寄与」という観点を持つことで、母乳という、それまで軽視されていたものが突然大切なものとして見出されたとも言えます。

このことと同様に、「ソーシャル」を捉えるときに、「個人の利益」観点だけでなく、「ネットワーク観点」を持つようになると、いままで軽視されていた思いがけない要素が突然重要に見えてくる、といったことが起きるのではないでしょうか。そして、そういったことの積み重ねによって、ソーシャルに対する私たちの理解がより深まり、有益な活用方法なども見えてくるのではないでしょうか。

■「ネットワーク観点」を導入するためには、とことんロジカルなアプローチが大切

さて、この「ネットワーク観点」をこれから考え方のフレームとして導入する際に最も大切なことは、きちんとロジカルに、その観点を解釈し、説明していくことだと考えます。

例えば、ロジカルではないという説明の例として、先ほどの選挙を考えてみましょう。なので、「選挙に行かなきゃだめだよ」と言われても「どうせ個人レベルで考えたら、あまり大事じゃない」「選挙にいくのは、国民の義務だから」というふうなことでは、説得力に欠けるし、「若い人が選挙に行かない」ことへの説得にも、説得力がないですよね。

私個人は、元々バリバリの理系(大学院まで流体力学をメインとした機械工学科)ということもあり、これまでのキャリアを通して、「ネットワーク観点」のことを説明しているんだろうけれど、あまりに説得力がなく、ふわっとしていて「宗教がかっているなあ」「散文的だなあ」と感じてしまう場面に少なからず遭遇してきました。

こうしたことを踏まえ、「ネットワーク観点」について理系的・仕組みレベルでの解説や解釈を加えていき、私と同じような理系的アプローチを重んじるタイプの人たちも、戸惑いやモヤモヤなどを無しに、「ネットワーク観点」を捉えてくれるように、今後のオルタナを始めとした発信での1つの軸にしたい、と強く感じる次第です。

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