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「ノモンハン事件」「不良債権処理」「オリンピック開催」に通ずる、「起きると困ることは起きないことにする」日本特有の幻想、独善

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オリンピックを何としても開催したい森喜朗会長(当時)の発言には、違和感を感じることが度々ありました。

確かに中止ともなれば経済的な影響も大きいのでしょうが、世論とのズレが拡大する中で開催を強行することの意味、意義がどのようなものなのか自分には理解できずに現在に至ります。

たまたま先日亡くなった半藤一利さんの著書、昭和史 (戦前)「ノモンハン事件から学ぶもの」には、バブル崩壊後、不良債権処理の遅れは「起きると困ることは起きないことにする」という意識が官民双方にあった結果と経済企画庁の「経済の回顧と課題」にあったと紹介されています。

半藤一利さんはノモンハン事件について、「日本人の幻想、独善、泥縄的な発想」という指摘をしていますが、このコロナ禍における一連のオリンピック開催強行言説についても、泥縄的はちょっと違うかもしれませんが、「起きると困ることは起きないことにする」幻想、独善を感じる人は私だけではないように思うのですが...どんなもんでしょうね。

さて、東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とするつもりが、女性蔑視発言で森さんは会長を辞することになってしまいました。

森さんは1937年生まれ。子供時代に終戦を迎えた訳ですが、昭和史に紹介されているこちらのエピソードはとても興味を引きます。

近衛文麿にマッカーサーが憲法改正を要求した内容

「第一に、憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分に取り入れねばならぬ。第二に、議会は反動的である。しかし、解散しても、現行法の下では顔ぶれは変わっても、同じタイプの議員が出てくるだろう。それを避けるためにもは選挙権を拡大し、婦人参政権を労働者の権利を認める必要がある」(戦後編:P114)

憲法制定後の天皇陛下とマッカーサーのやり取り

「戦争はもやは不可能であります。戦争をなくするには、戦争を放棄する以外にはありませぬ。それを日本が実行されました。五十年後において(私は予言いたたします)日本が道徳的に勇敢かつ賢明であったことが立証されるでありましょう。百年後に、日本は世界の道徳的な指導者となったことが全世界に悟られることでしょう」(戦後編:P578)

戦後75年が経過したいま、終戦当時と比較して日本人の意識がどのように変化しているのか...ということに多くの人が感心を持つのでは?と感じるエピソードではないでしょうか。

そして後任選びにあたっても色々とゴタゴタがあり、こんな報道もあってつくづく外圧でしか変われない国、国民性なのかとも感じる訳ですが...

最後にもう一つ昭和史からエピソードをご紹介。

昭和20年にタバコは貴重品で、戦後復活した宝くじの景品にも使われていたようです。(戦後編:P88)この時タバコの名称の図案が公募され、発売されたのが「ピース」と「コロナ」だったのだそうです。戦後だけに1番に来たのが「ピース」ということらしいですが、このコロナ禍にこういうエピソードに触れると何とも奇妙な気分になるものです。

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