除夜の鐘への苦情報道から改めて指摘する、加齢性難聴問題
夜に行うので除夜の鐘と名前が付いているのだと思いますが、苦情による中止、時間を夕方や昼間に変更するとした各種記事をご覧になった方も多いかと思います。
こちらの記事で注目したのは、裁判所との調停を経て、除夜の鐘が中止に至ったという事例です。
調停とあるので、判決とは違いますが、このような形で日本独特の文化が変容してしまうことへの違和感、背景にある不寛容さを感じる方は多いのではないかと思います。
前述したデイリー新潮の記事は、タイトルでは不寛容のワードを使用していますが、除夜の鐘を昼真の時間に行うことで、見いだされたメリットを紹介しており、超高齢化していく日本において、文化・伝統を頑なに守ることが本当に良いことなのか、考える機会をこの記事は提供してくれていると思います
もうひとつ、産経新聞のこの記事を見てみましょう。
こちらの記事でも、一連の「除夜の鐘問題」を紹介する中で、苦情だけでなく、住民の負担のことも含めて紹介しているですが、全日本仏教会によると、除夜の鐘にとどまらず、法要や祈祷(きとう)に対しても「騒音だ」という苦情が各地で寄せられているとしています。
そして専門家の意見として、以下のようなコメントが紹介されています。
騒音問題総合研究所の橋本典久代表の話「音については保育園や学校行事などに対しても苦情が出ることがあるが、迷惑だからというよりも『他人の音が許せない』という不寛容さが広まっている。寺としては対処せざるを得ないかもしれないが、苦情があるからと言って取りやめていけば、あらゆることが一部の苦情でできなくなるので、安易な対応はするべきではない」
毎日行われる法要や祈祷、保育園で発せられる音は、除夜の鐘のような年に一度の出来事とは性質が違いますので、これを不寛容社会として一緒に扱ってしまうことに違和感を抱きます。
その理由は以前にこちらの記事でも書いているように、加齢と共に聴力が低下する中で、それまでは気にならなかった音が、耐えがたいものになることを自分自身が体験しているからです。
きっとこのような症状に悩む中高年者、老人の方も多いと思うのですが、結局症状の辛さは当事者にしか分からない事です。
不寛容さについての社会的課題感は認めますが、問題を感じるのは、新聞報道において専門家が、毎日発生している音の問題と、年に1度の行事についてを同列で論じていること。
記事の取り上げ方として、わたしが抱えるような症状に悩む人たちの存在を認識して貰えていない2つの点を指摘したうえで、今後期待するところとして、医師の立場からこの問題を提起する人にいち早く出てきて頂きたいです。
少子化問題があるなかで保育園が騒音を発するとして苦情に晒されることが良いとはわたしも思いません。
ただそこを論じる中で、抜け落ちている当事者の音の感じ方がどれだけストレスフルなのかが、調査やテクノロジによって明かされる時ができるだけ早く訪れることを期待します。