自分の「身の丈」を知ることの大切さ
萩生田文科相の「身の丈」発言が批判されています。
確かに面と向かって言われて気分の良い言葉ではないですが、これまでの人生での出来事を振り返るに、身の程(身の丈)を知ればこそ、有り難さが分かるという場面もありました。
わたしのような高卒で地方から出てきた人間が、音楽の仕事に就くということが実現できた背景には、自分の身の程(身の丈)からして、周囲から得がたいチャンスを与えてもらったからだと、常々感じます。
自分が働き始めた1985年当時と比べれば社会の考え方や働き方は良くも悪くも大きく変化しました。
カタカナ系の仕事に就くためには当然才能も必要でしたが、業界に入り込むだけでも大変な時代でもありました。
現在の日本では人不足を理由にして、給与や待遇がどんどん良くはなっている側面がありますが、その待遇が整備された文脈を勘違いしていまうと人生後半で痛い目に会う可能性があるように感じます。
今後マスコミが騒いでいるAIなどが仕事を奪うような社会になり、人不足であっても一握りの優秀な人材とグローバル社会でアグレッシブに仕事をしたいという人材で日本の会社組織も成り立つ時代になったときを想像してみてください。
そのときに、
大量採用時代であれば落第したレベルであっても、人不足だから採用してもらえた人材。
更に言うなら、採用された幸運にあぐらをかいて、能力を伸ばすことをしない人材。
このように「身の程(身の丈)を考えられないこと」で今後の選択肢を間違える可能性が高いことに同意いただけるのではないでしょうか。
売り手市場になると、当然自分が働く企業を選ぶという意識になるかと思います。
ただ、仕事も人生も波があり、自分を選んでいただく場面も当然出てきます。(結婚も)
卑屈になる必要はないと思いますが、自分の身の程(身の丈)と与えてもらったチャンスを感謝する姿勢だけは忘れてはいけないように感じます。