昔の田舎はキャッシュレス社会が実現していたよね?という記憶
なんだかんだで54歳ともなると、歴史というか、色々な出来事を経験するもんだな...と感じることがあります。
昭和40年代の、青森県三戸郡名川町といえば、それはそれは田舎でした(苦笑)
ですが、この時代の日本の地方においては住民それぞれが、どの家庭の人間なのかを識別され、それに応じた信用が得られる(与えられる)社会だったように思います。
40数年前、当然24時間営業のコンビニは存在せず、宅急便も無いわけですが、酒屋さん、牛乳屋さん、クリーニング店などの個別配達は当たり前で、本屋さんには月刊誌などを配達してもらっていた記憶があり、そこには再配達問題はゼロだとは言いませんが、無視できるレベルだったのではと思います。
そして、前述したような宅配サービスを利用できる信頼のある住民として認識されていれば「ツケ払い」というキャッシュレスシステムの利用を許されていました。(生活必需品を売るお店では子供のツケはNGでしたが、本屋さんでは自分が欲しい本を定期的な配達のときに一緒に届けてもらえた記憶があります)
当然デジタル社会ではありませんので、その信用度は、集落における歴史の積み重ねと、日々の情報交換により運営されていたと言えるような気がします。
昔は買い物かごがそれぞれの家庭にはありました。最近はプラスチックごみの問題に取り組むと先進的な企業だとみなされるような風潮もあるようですが、歴史を振り返ると、レジ袋のプラスチックゴミの問題も、何かがエスカレートしたことが原因で揺り戻しが来ているだけなのかもしれません。
ファミレスの営業形態の変更、宅急便の再配達問題やら、コンビニの24時間営業の問題についても、時代の変化と共に生まれたサービスの栄枯盛衰、諸行無常を感じる側面があります。
ここ最近は日々デジタル・トランスフォーメーションというような言葉が飛び交っており、まだまだエスカレートする分野も多くあるのかもしれませんが、昭和の後半から平成で限界を迎えた様々な社会システムの「揺り戻し」も大事なテーマになるのかもしれませんね。
キャッシュレス社会の実現も新しいテーマのように見えて、実は揺り戻しの側面が含まれている一面があるのかもです。