国民民主党 玉木代表の「貯金ゼロでも不安ゼロ社会」に感じる素朴な疑問
世代老後2000万円不足問題について、これでもかというほど各メディアが記事を量産し、わたしが良く見るYahooやらBLOGOSにも同様の記事が沢山掲載されています。
この件は野党からすれば絶好の攻撃対象ということで、いつものようにこの方が気勢を上げ、これまたいつものように外しているようです。
前提が変わることで計画に変更が生じることを嫌う人は多いと思いますが、老人ホームの入居一時金として千万単位や、億単位の費用を負担する前提のマーケットが存在している現実を目の前にし、クラクラしている自分がおります。
もらえる年金だけで生活することを計画している家庭がどれだけ存在するのかわたしは知りませんが、毎月の年金支給額と、前述した老人ホームの入居費用の金額を見比べることで色々と考えさせられるものがあります。
ここ数回高齢の親の介護の話題を書いている私ですが、このような状態に実際になった当事者として保険や定期預金などコツコツとした備えがいかに自分を助けることになるのかを痛感しています。
今日の本題
先日NHKの党首討論を見る機会がありました。
この中で国民民主党の玉木雄一郎代表がこんな主張をしていました。(上記リンクの19分30秒あたりから)
- 貯蓄ゼロ世帯が増えている。(貯蓄ゼロ)若い人にも増えている
- 「貯金ゼロでも不安ゼロ」そう思えるような社会を作っていくのがこれからの大きな方向性
- 高齢者向けのベーシックインカムのような仕組みを入れていく
- 財源については世代間の支えも大事だが、世代内の支え合いをしっかり強化していく
- 金融所得・金融資産の課税を強化することによって、世代内の支え合いの仕組みをより強化し、皆が安心できる社会を作っていくことがこれからの社会保障の改革には必要。
この話を聞きながらまたしても頭がクラクラしてきました。
貯金したくても出来ないという状況の方もいるはずですので、この主張に賛同する人も一定数存在するのだろうとは思いますが、私たちが大震災で得た教訓ってなんでしたっけ?
備えておくことの重要性を学んだはずですよね?
たしかに政治がそれを実現してくれれば、多くの人にとっての助けにつながるのかもしれませんが、貯金ゼロでも不安ゼロが実現した社会ってどうなんでしょうね?
国が100年安心とは言っていたけど約束が反故にされることだってあり得るわけです。
前半で書いたように、自分でコツコツと備えたことは確実に自分を助けてくれます。
このような具体例を目の前にしているだけことと、「生は苦であり、老いは苦であり、病は苦であり、死は苦である......」という話のほうがしっくりくるタイプなので、自分なりの積み重ねを続けていきたいと思います。