令和の進歩的文化人的存在と『解ってたまるか!』
ここ最近起きた事件とその後のメディアの報道、そしてネット界隈での様々な主張が交錯しているのを眺めながら、竹内洋(著)「革新幻想の戦後史」で知った金嬉老事件のことを思い出し改めて目を通してみました。
1968年、わたしはまだ3歳でこの事件についての記憶はありません。ですので、本やネットから仕入れた知識しかありませんが、劇場型犯罪のはしりとして位置付けられている事件です。
金嬉老事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日に在日韓国人二世の金嬉老(きんきろう(キム・ヒロ)、改名後の本名:権禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日、事件当時39歳)が犯した殺人を発端とする監禁籠城事件である。寸又峡事件とも呼ばれる。籠城中に警察へ差別発言への謝罪を求め、記者会見を何度も開くなどし、事件は殺人事件から差別の告発に急変する。親族は「当時、在日はみんな差別された。金嬉老は殺人を民族問題にすり替え、社会がそれを利用した」と語った。
マスコミの報道姿勢についてはここ最近の事件でも指摘されていますが、当時のワイドショーの放送中に犯人との電話連絡が行われたり、Wikipediaによれば一部のメディアは、「金さん、ライフルを空に向けて射ってくれませんか」と要望を出し、金が空に向かって数発、ライフルを乱射しているところをカメラで映して演出までしたとあります。
約50年前と比較し、マスコミは幾分はまともになったのか、はたまた変わっていない、という判断は分かれるところでしょうか。
言論の自由と多様性を認めるということは、自分が受け入れ難い意見であってもそれを納得はしなくとも認める姿勢は必要となります。
昭和から平成、そして令和という時代の中で、大きく社会は変化し、人間の考え方も変化し、多様化しているのだろうとは思います。
ただ、ここ最近、法律を違反した人間の罪についての考え方についても多様な考え方に触れる機会が増えているように感じており、この辺の考え方が今後エスカレートしていった結果として、令和時代の文化人の迷走につながるのでは?と思ったりもしています。
金嬉老事件は、劇場型犯罪としてだけでなく、犯人の主張に対して当時の(進歩的)文化人たちが起こした行動と、その後の迷走ぶりも特徴と言える事件です。
備考
逮捕後、文書に署名した文化人の多くは、事件とのかかわりから逃避・遁走して、「金嬉老の訴えをもとに金を弁護し、闘うという初期の呼びかけはどこへやら」となり、「すでにわれわれの役割は終わったのだ」として縁を切る人物から、「金嬉老を守る会」ではなく「差別と偏見を考える会」へと逃走する人物まででる「失速ぶり」となり、彼等を風刺したのが福田恒存作『解ってたまるか!』である。
文末にあるように、この事件を機に、福田恒存の『解ってたまるか!』につながっていくことになります。
「革新幻想の戦後史」には、2008年に上演されたプログラムに掲載されたという、朝日新聞の政治部記者、早野透が書いていいる内容を紹介しています。
「進歩的文化人」は、村木の自己犠牲的行動を理解し、感動し、涙し、「あなたの一生をめちゃめちゃにした人を憎みます」と同情し、涙する。村木があきれて「他人が命がけでやった行為を、後から言葉で説明するのが先生の仕事なのかい」という、そのせりふは福田が一番言いたかったことだろう。私は「進歩的文化人」にもホンモノとニセモノがいたと思うけれど、いずれにせよ「進歩的文化人」は死に絶えた。いや、そうでもない、テレビをみれば、何でも解っちゃって何でも解説してくれて、悪いやつには怒り可哀想な人には同情するキャスターやコメンテーターなる人種が跋扈している。もっとも私も一時期、そんな役割を努めたが。(「一匹の羊にみた人間の宿命」):強調著者
最後に、『解ってたまるか!』の文化人があまりにものわかりが良いことに癇癪を起こした犯人、村木のせりふを紹介しておきたいと思います。
成る程、人殺しの気持ちでも学生の気持ちでも、なんでも彼でも解つてしまふから先生といふ訳か......黙れ、原罪野郎、手前等に俺の気持ちが解ってたまるか......!」:強調著者
文中敬称略