「プログラミング教育必修化」と「三角関数無駄発言」
記憶があいまいなんですが、中学3年のころに放映されていた金八先生の中で、家業を継ぐ子供には学校で習うことは必要ない的なセリフがあったような気がします。
世間では、橋下徹氏の「三角関数は国民全員が絶対に学ぶべき義務教育である必要はない」というような発言をしたとのことでいろいろな意見が飛び交っているようです。
自分の経験を振り返ってみると、70年台後半から80年台にかけて音楽制作の現場には電気から電子、そしてデジタル化の波が押し寄せて現代に至っており、その中で食べ続けるために必要なスキルは激変したと言えます。
フリーランス生活から小さいながらも会社を興し、なんだかんだで30年が過ぎた訳ですが、カメラマン、デザイナ、ミュージシャンと言うような領域でもデジタルが扱えない人が食べていくのは困難な状況になっています。
デジタル化したクリエイティブ業務は常に値下げ圧力に晒されます。その中で少しでも成果物の付加価値を高め、より高い収入を得るための工夫が求められます。
大量・高度な処理を行うとか、ソフトウエアを効率的に活用するためにエンジニア的な素養が育てる努力をしたり、初歩的ではあるけれど数学的な考え方を使えるように訓練していないと、人生100年時代に仕事を続けていくことがどんどん辛くなるはずです。
元素記号や三角関数を知らなくても困らない職業はたくさんあるでしょう。ですが、数学的な能力、素養が必要とされるからこそ、プログラミングを科目として追加するのでは無かったでしょうか?
私が言うまでもなく、ホワイトカラーが元素記号や三角関数を直接扱うことはまず無いのかもしれませんが、自身の業務プロセスをシステム化するためには、1か0かの融通効かない世界を相手にする必要があり、そこでは集合の考え方や、論理学の一部の素養が不可欠なことに同意してくれる方は多いのではないでしょうか。
効率の良さをやたらもとめる現代においては、無駄な行為は嫌われるのだろうと思いますが、社会に出てから必要性に気がついて学ぶことが必要になったからこそ、自分は47歳で大学に編入したし、そのあと修士の資格も取得しました。そして業務に必要とされる資格取得試験にもチャレンジしている最中です。
こんな形で、今まで何とか生き延びてきた経験から考えるに、マスコミなどで取り上げられる流行りを、疑いを持たずに真に受けるのはやめるべきです。
100歩譲って、サラリーマンとして65歳、70歳まで雇用が保証されるなら良いのかもしれませんが、独立してしまえば大卒だろうが、修士の資格を持っていようが収入が保証される訳ではありません。
マスコミに登場する食べることに困っていない人達の言説を真に受けて、自分に○○は必要ないと決めつけてしまい、学ぶ気持ち・姿勢を捨ててしまうのは非常に危険です。
副業、フリーランスを安易に持ち上げる風潮にも弊害があると危惧していますが、更にギグ・エコノミーという日雇い世界が拡大していくと予想されるこれからの社会において、読解力、論理的、数学的な枠組みで物事を考え、自身の仕事に活かす能力の重要性は高まることはあっても減ることはないでしょう。
全員がプログラマになる必要は無くとも、前述の素養を見出し、育てる。もしくは向き・不向きを自分で考える機会を得るという観点からするとプログラミング必須化は有りだと思います。
最後に、自分自身で確かめない決めつけこそが一番危険な思考、生き方ではないでしょうか。