"孤独"と"一人"は同じじゃない
ここ最近、「孤独死」を忌避する方向で取り上げるメディアが多いように感じます。
孤独は幸せではないという考えが根底にあるのでしょうか...
「ひとりで死ぬのは怖くない」と五木寛之が直言しているという宣伝記事が文春オンラインに掲載されています。
誰に指摘されずとも、生まれる時も、死ぬ時も基本一人なことは自明。それがどうしてこうも話題になるのでしょうか?
先週アマゾンで「ラッキー」という映画を見ました。
画像出典:映画『ラッキー』公式サイト - UPLINKより
90歳の気難しい現実主義者が人生の終盤で悟る、「死とはなにか」を描いた映画です。
「死」について哲学的な問いを投げかけた映画はきっとたくさんあると思います。
わたしにとって、この映画のポイントは主人公が現実主義者であるということ。
神を信じない人間が「死」という現実に向き合った姿を描いているものとして新たな視点を提供してくれる点でこの映画を評価しています。(冒頭紹介した五木寛之は「孤独死」に対し、「幸福で、豊かな死」を提言しているそうですので、「文藝春秋」12月号を手にすることがあれば読んでみようと思います)
「孤独死」を忌避する傾向は、結局、終活ビジネスに関連して「孤独死」を不幸せに演出すことが商売につながることがすべてとは言いませんが一因としてあるような気がします。
他方映画ラッキーの主人公は死に対して「怖いんだ」と打ち明けるシーンが予告にも登場します。
そして、この映画を見たほぼ全員がこの言葉の意味をじっくり考えることになります。その言葉は
"孤独"と"一人"は同じじゃない
※映画本編では、"孤独"と"一人暮らし"は一緒じゃないとのテロップ
信仰がある人がこの言葉を使う場合と、無神論者が言う、"孤独"と"一人"は一緒じゃないという言葉の解釈は非常に考えさせられるものがあるとわたしは考えるのですが、いかがでしょうか。
P.S.
"独り(アローン)"の語源は"みんな一人(オール・ワン)"なんだというセリフもすごい気になっているのですが、まだ真偽を確かめるには至っていません。