グローバル化する現代において、「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」という校則は本当に認められるのか?
ガラパゴス化、以下wikipediaより
日本で生まれたビジネス用語のひとつで、孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外部(外国)から適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い種(製品・技術)が導入されると最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。ガラパゴス現象(Galápagos Syndrome)とも言う。
グローバルな時代と言いつつ日本がガラパゴス化がより深刻になりつつあるのではないか...そんなことをこのニュースから感じました。
日本の企業は欧米に比べイノベーションを起こせずにおり、日本にもシリコンバレーのような場所を創出することが必要である的な指摘・論考を多く目にしますが、働き方のひとつとしての、終身雇用や定年制はグローバルな考え方からすると馴染まない慣行のひとつであり、日本の独自性や古い慣行がネックになっている側面を垣間見ることができます。
また、多様性という観点からも頭髪の色が黒でなくてはいけないなどというのは、それが高校の校則であったとしても世界的な視点から考えると驚かれる制度ではないでしょうか。
昭和40年生まれの私の中学・高校時代は、教師によるビンタなどは普通にあり、高校時代は点数が一定の点数以下だった場合、大型の定規で尻を叩かれる刑罰がある授業が県立高校で行われているような時代であり、強面として生徒に恐れられることをその教師自体も満足そうにしていたような印象さえあります。
このような時代から、学校にはこういった分野で権力をもった教師が幅を利かせていたと思うのですが、ここ最近話題になった大阪府の高校での髪染め強要で不登校の問題を見ても、なぜ昭和の時代から変われないのだろう...と感じた次第です。
信じられないのは、この部分
学校側は生徒の代理人弁護士に「たとえ金髪の外国人留学生でも
規則で黒染めさせることになる」と説明している。
これからの時代、労働人口の減少や、世界的に見ても多種多様な人々と協力しながら仕事やら生活していく必要性が高まっており、このような社会においては多様性を認めることが優先順位においても当然高くなるのは明白です。
このような時代に、若者に教育をする側の意識が金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせるという思考であるということは、これから社会で活躍する人材を教育・育成する場として適切と言えるでしょうか?
ビジネス誌などでは日本の会社が変われない理由について沢山の特集が組まれています。ですが、そのもっと前段部分の高校などの教育現場で前述ような価値観が刷り込まれていくような状況で日本は大丈夫なのか...
日本が変われない一因がこんなところにもあるのかもしれない...そんな事をこの記事から感じました。