あなたのリーダーとしての"信頼残高"はどのくらい残っていますか?
なぜ出来ないのかが分からない
実務で優秀、才能がある人が陥りがちなこととして、出来ない人の気持ちが分からないという話は良く聞くところかと思います。
このような場合、双方向のコミュニケーションで互いがもっている想いを交換することでかなりのギャップが埋められ、問題が解消する可能性があるとされています。
現場感覚からもこの指摘はおおむね当たっていると思うのですが、知っているだけではうまく行かないのがリーダーシップの難しいところです。
現役時代優秀だった選手が良き指導者になれないケースの指摘も多くありますが、実績、実力があっても人を育てるのが苦手では、これからの人不足の時代における経営者としては失格の烙印押されるのではないでしょうか。(本質的には、フォロワーの問題もあるのですが今回はあくまでリーダーの面だけの話として進めます)
モンタナの森林火災から生還したワグナー・ドッジ
先日受けたリーダーシップ論の講義で、モンタナの森林火災から生還したワグナー・ドッジという人の存在を知りました。このケースは1949年に起きたモンタナ州の森林火災で起きた事故を取り上げたものです。
1949年の8月5日、ワグナー・ドッジと15名の消防士は午後2時30分までにミズーラにある森林消防隊吉でC-47輸送機に乗り込みました。
火災現場のマン渓谷までは20分の飛行で、午後4時10分に着地、5時までにパラシュートをたたみ、消火体制を整えたとのこと。
その後消火活動を開始したワグナー・ドッジのチーム、なんと1時間足らずの5時56分の時点で、13人の消防士が焼死してしまうという惨事に遭遇してしまうのです。
さて、このような事故を引き起こしてしまったワグナー・ドッジは無能なリーダーだったのでしょうか?
主人公のワグナー・ドッジ、9年にわたって数多くの森林火災と戦ってきた優秀な消防士であり、実際的な技術を持つ専門家チームの責任者としてふさわしい人物と評価されているようです。
また、この火災の際にワグナー・ドッジはエスケープ・ファイアという手法でこの山火事から逃げることに成功しています。このエスケープ・ファイア、ネイティブ・アメリカンのあいだではそうした発想はあっても、それが標準的な救命術として採用されたのは、この悲劇があったあとのことだそうです。
この事からも危機的な状況に対して対処を行う判断能力と行動力を維持していたワグナー・ドッジのタフさが想像できると思います。
信頼の悪循環
なぜこのような素養や実力申し分のないリーダーであるワグナー・ドッジが部下13人を死なせてしまうような事態に陥ってしまったのでしょうか?
詳しくは是非書籍「九つの決断」を参照いただきたいのですが、このケースのポイントは以下のようにまとめられます。
- このチームは寄せ集めメンバーで構成されており、結束力がある集団ではなかった。(これは林野部の方針で、各人が出動の間の休息を最大限に確保する方式を採用していたため)
- リーダーのドッジが寡黙な男で、現場到着から行動開始までの時間にコミュニケーションを行わなかった。つまり言葉が足りなかった。
- サポートしてくれる副官が居なかった
- 不安と緊張がつづいた場合、最初にパニックゾーンに到達するのはもっとも経験の浅い者たちである
- 相互理解、責任分担の精神が欠如していた。
- そしてこのケースから学ぶべきポイントは「信頼の悪循環」です。
- ドッジは優秀ではあったが、他人の意見を聞く時間を持つことはなかった。
当初、ドッジの命令に適切にしたがっていた部下たちであったが、着地点で火災に巻き込まれたり、進路を変更するなど、状況に照らしてドッジの判断に妥当性はあったが、結果として問題がある決定を続けてしまいました。
つまり、リーダーに従って結果が思わしくない経験を続けた部下は、リーダーに対する信頼はすでに崩れ去っており、さらに悪いことに、ドッジはそれに気づいていなかった。
そして、命の問題に直面した際にリーダーが適切な脱出策を教えても、それに従わずこの判断により部下13人は命を落とす結果となったのです。
リーダーとしての信頼残高
九つの決断には、教訓としてこのように書かれています。
問題のある決定をつづけてした場合、自分のリーダーシップが疑われていることを覚悟しなければならない。それは、リーダーとして試練の時である。いざという局面で周囲の協力を期待できない状況に置かれているからだ。
ケースに対しての討議・講評の中で出て来た表現にこんなものがあります。
ドッジのリーダーとしての信頼残高がゼロになっていた。
この信頼残高という言葉、これまでの自分の行い、その原因と結果を振り返ったときに、なんとも言葉に表しようのない後悔と、やりきれなさに襲われました。
専門家として優れた人ほど陥る危険性
これからのベンチャー企業は時代的にもテクノロジー関係が多く、そこでは優秀な人がプレーイング・マネージャーとして人を率いていくことが多くなるでしょう。
経営をやっていれば予想外のことも出てきますし、ドッジのように判断には妥当性があっても部下が納得できる結果につながらないケースも多々あることは言うまでもありません。
自分の判断には合理性があると本人だけが思っていても、部下の想いを吸い上げコミュニケーションして溝を埋めなければ信頼残高がどんどん減っていき、最悪の形で問題を引き起こすとどうなるかをこのワグナー・ドッジのケースは教えてくれているのです。
残念ながら中古でしかこの九つの決断は入手できないので、図書館で探してみるなどしてみてください。
「たら・れば」で話をしてもしょうがないという方に、同じ状況下でリーダーが下した判断の違いが部下にどのような結末をもたらしたのかを知るケースも教えてもらったので次回はその例もご紹介したいと思います。
冒頭にも触れたように、今回の講義ではリーダーシップの問題点を主体として検討していますが、このケースにおいてリーダーの問題だけでなく、部下の側のフォロワーシップの問題も様々な観点であることを付け加えておきます。