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Sex Pistolsのジョン・ライドンとRCサクセションの忌野清志郎という存在

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1965年生まれのわたしが、青森県の八戸市という地方に育った時代、ロックやバンドは不良がやるものという認識で中学・高校で簡単にバンド活動が認められるような時代ではありませんでした。

団塊の世代やわたしよりも10年くらい年食っている世代の人達はもっと強烈な経験していると思うのですが、やはりロックって不良のやるもので、そこには反体制のイメージも少なからず伴っていたように思います。

そして自分にとってはパンクロックという存在が決定的な影響を与えていて、イギリスのパンクムーブメントも残念ながらリアルタイムに盛り上がった世代ではないのですが、セックスピストルズというバンド存在と「アナーキー・イン・ザ・U.K.」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」という一連の楽曲の存在は、「アナーキー」ってどんな意味?に始まり、政治的なことを考えるキッカケを与えてくれたようが気がしています。

ちなみに「NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM」という映画を見て貰うと、当時のイギリスの政治状況であったり、当時のパンクロックに賛同するヒト、否定的なヒトそれぞれのスタンスに非常面白いものがありまして、少なくともパンク音楽と政治は水と油であったことが分かってもらえると思います。

ここ最近は一国の指導者もロック好きで、自分の好きなアーティストを在任期間中から取り上げるような時代になっていることに違和感を感じているヒトも一部にはいるだろうと思っています。

ただこういう政治との結びつきが業界や職業のポジションを高めるとか安定させることに繋がったり、著作権という法律で自分達に有利なポジションの確保には政治との関係もありうまくやったほうが良いという考えもあるのでしょう、、、

自分はここ数年テレビを見ないのでここ最近の騒ぎのことは分かっていませんが、facebookで見かけるシェアされた情報の断片を眺めつつ、

昔のロックスターは定番ネタであるスリクやナオンに始まり、逸話となっているような破天荒なエピソードが相当にあって、異物混入を徹底的に糾弾するような現代の潔癖日本では到底受入れ不可能なんだろうな...と思うところから始まり、

Sex Pistolsのジョン・ライドン(John Lydon)は自身の脱退表明時に「ロックは死んだ」と宣言しており、Sex Pistolsの「ロックの殿堂」セレモニーをボイコット際にはこんなコメントをしているようです(苦笑)

「セックス・ピストルズを除けば、ロックンロールもその殿堂も小便のシミに過ぎない」

そして、殿堂入りの票を投じてくれた審査員にこんなコメントも残しています。

「俺たちは行かねえよ。お前らも別に構わんだろ。このクソみてえな系図に組み込まれないのが、本当のセックス・ピストルズってもんだからさ」

なにか、こういうスタンスを貫き通してくれると何かすがすがしいものを感じますねw

右、左どっちが良いとか、正しいとかの問題ではなく、日本にもRCサクセションの忌野清志郎というポジションを貫き通したヒトの存在と、いまいま話題となっている方が桑竹居助の偽名で参加してたはずの『COVERS』の発売中止騒動をふと思い出した次第です。

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