品質維持をペットの品種改良という側面で考えると背筋が寒くなる件
週末ネタで最初はお気楽なことを書くつもりだったのですけど、昨晩ペットの品種改良について問題点を指摘している番組に出くわして家庭レベルでズ~~~んと重い空気に包まれてしまいました(苦笑)
農作物の品種改良も産地や産出量を増加させるための改良って受け入れやすいですし、様々な品種の特徴を掛け合わせて様々な耐性を植えつけていくような行為はある意味感嘆してしまう場合もありますが、これがペットなどの動物に技術的には同じことが施された結果を目にすることで人間の賢さと怖さの両面を垣間見ることになります。
日本においてこれだけ大多数の人が文化的な暮らしを享受できるところまでには、技術確信やたゆまない努力が必要で、センチメンタルな事を言っていたら根本的な進歩なんか出来ないという話に繋がっていくのだというのは頭では理解できているのですけどね。
この犬種は、背中に線が入っているべきで、その線が入っていなければ殺処分。なぜって?その線が入っていなければそもそもその犬種の犬ではないんだから……
この犬種において美しいとされる尻尾はらせん状であるべきで、そのためには脊髄が湾曲して障害を抱えることになっても問題ない、だってこの犬種における完成された形はらせん状の尻尾があることが絶対条件なのだから……
犬をペットとして飼うという事自体が貴族のステイタスを示すような側面があった時期も存在していたと思うのですけど、血統書とか純血種などなど「こうあるべき」ってマインドの部分が貴族とか選民意識の点では相性良さそうな思考パターンな印象あり、この辺をあれこれ考えるうちに最近ハプスブルク家についてこんな研究結果が発表されていたのを思い出しました。
血筋の維持が結果的に断絶に繋がったわけですが、犬の品種維持のためにいろいろな疾患を抱えているという話を見聞きするにつけ、全体品質を維持しようという思考がもたらす危険や弊害って、全体劣化を放置し場合と比較するとどうなんだ…とこれまた果てしない妄想を土曜の朝からやってしまい頭痛くなってきたので、これから少し寝ることにします(苦笑)