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「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神は、とても怖い感覚で、無神経…

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自分の親父は大正7年生まれですでに亡くなっていますが、私が小さい頃(昭和40年代)は田舎だった事もあり、鶏を自家で飼っていて卵は勿論、親父が自分で処理をして食用として利用していました。

そのほか畑で野菜を作ったり、近所の農家の方からおすそ分けしてもらった白菜を処理し新聞紙に包んで冬の期間の保存をした事や、父親の弟が水産関係の会社に勤めていた関係でイクラなども自家でいろいろ加工して日持ちするようにしていたのを覚えています。

このような世代の人たちは、自給自足とまではいかないまでも、人間がどうやって食べていくのかという観点で「仕事」をするだけでなく、もっと根本的な能力や知識そして技術をもっていて、家族の長として家族の面倒を見ていた時代がこの日本にもあった訳ですよね。

戦後復興期から私が育った高度成長期を経て、現在は高度に機械化が進み、農産物などの食料生産においてもグローバル展開するために徹底した効率化が図られ、そこにはITだけでなく、バイオなどの科学技術を含め、様々な知識や技術が投入されている事は素人にも想像できる事。

ただし、自動車の生産やインターネットに関わるビジネスではそこに「生物の命」を犠牲にする事はありませんが、食の問題を語るときに「生物の命」を抜きにすることは不可能で、その生産現場がどのようになっているのかを正確に知っている人って本当にわずかなのではないでしょうか?

そういう意味で今回ご紹介する「いのちの食べ方」という映画(DVDは購入、レンタルも可能)は必見だと思います。

金融危機の問題に端を発してで大量消費時代から、もうすこし昔の姿に回帰しては?という意見も多々ありつつも、自分達の現在の生活レベルを維持していくために、一定の消費生活をしなければ経済が回らないという現実の前に、行き過ぎた資本主義についての指摘や見直しを迫る意見も出てきていますが、具体的なその後を示している話はあまり見聞きしませんよね?

今自分達が手にしている便利な生活を不便な状態に戻すとか、後退することを受け入れるのは思いのほか大変だと思います。

ただし、この「いのちの食べ方」を見てもらうと、自分達の生活レベルを現状維持するために、大量生産、大量消費が経済活動の基盤として必要なんだといわれても、もう少し工夫して、食料品の生産において消費される「生物の命」をもう少し大切にできないか…と考える人は非常に沢山出てくるのでは?と考えます。

「いのちの食べ方」に収録されている監督インタビューにもあるのですが、肉を食べたいと思ったらやはり屠畜の技術を本来はもっているべきという趣旨の発言をされていて、その技術を持たない人が肉を食べたいと思ったら、単純に屠畜作業に従事している人たちや食品会社を非難してもしょうがないでしょ?という意見は非常に説得力があります。

この映画では、鶏、豚、牛がその生命を失う瞬間も映像として収められており一部ショッキングな映像も含まれて居ますが、一切のナレーションや台詞を用いず、淡々と野菜、穀物、魚の加工と前述の食肉の加工工程を私たちに知らせてくれます。(wikipediaの屠殺の項目も見てみましたが、この「いのちの食べ方」のように殺す瞬間から解体する様子を知ることができて、おかつ冷静にその様子を伝えてくれる映像作品は非常に貴重なようです)

監督がこの映画を撮る動機として、ヨーロッパにおいて食料品の過大生産による廃棄処分が大量に行われているという事に興味をもったから…という話も出てくるのですが、オフィシャルサイトのほうにはこんな記載がありました。

日本は食料自給率が低いわりには、世界で最も残飯を出している国でもあります。金額に換算すると、11兆1000億円もの量になります。現在、世界の人口は63億人ですが、その中できちんと毎日の食事ができるのは、たった8%の人々と言われており、日本もその中に含まれています。また、世界で8億人が栄養失調状態であり、年間900万人が餓死している中での事実と考えると、異常な数字といえます。私たちは、いまこそ毎日の食事の中で、いのちの有難みを「感じる」必要があるのではないでしょうか?

繰り返しておきますが、機械化だったり効率化が単純に悪いという事ではなく、人間としてそのほかの命をいただきながら生活していくとして、それこそこの映画のタイトル「いのちの食べ方」として11歳以下は見れない映画になっているのが残念ですが、家族でこの映画を見て話し合ってみるなり、学校教育に取り入れることは、右肩上がりの経済が前提で組まれてきたさまざまな施策が見直しを迫られている現在において、さまざまな観点から考えるための情報としてとっても重要と思います。

最後に今日のエントリータイトルに使わせていただいた、監督インタビューの一部をご紹介しておきます。

ニコラウス・ゲイハルター監督インタビュー(5)

ショッキングなシーンもありますが、それについてどう思われますか?

この作品では出来るだけ客観的な視線で物事を捉えたかったのです。僕が特に興味を持つのは、「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います。そこでは、植物や動物も製品同様に扱われ、産業として機能させていくことが、非常に重要になっています。一番重要なことは、いかに効率よく、低コストで、動物が生み育てられ、数を保たれているかであり、新鮮で傷が付いていない状態で食肉処理場に届けられるための取り扱い方や、肉に含まれる薬品の使用量、ストレスホルモンの量が合法基準値より低いレベルに保たれているか、ということなのです。誰も自分が幸せかどうかなんて考えてはいません。それをスキャンダラスと言うなら、もう少し深く考えてみるべきで、僕たちの暮らし方もスキャンダラスということになります。この経済的に豊かで、情け容赦ない効率化は、僕たちの社会とも密接に関わっています。「有機栽培の製品を買い、もっとお肉の量を控えなさい!」というのは間違いではありません。でも、同時にそれは矛盾していると思います。誰もが皆、機械化に頼って国際化した産業の恩恵を受けています。そして、これは食べ物の世界に限ったことではありません。

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