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【ベーシック・インカム】について書き始める前に

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ワーキングプアの問題やらいろいろと「自己責任」という事で話がなんとなくまとまってしまうケースがありますが、なんでここに帰結してる(帰結させている)のかについて最近読んだこの書籍から思ったことを、無条件の所得保障をという「ベーシック・インカム」って社会理論の紹介を兼ねて、日本でも定額給付金が政局の焦点って記事も出てきている時期だったりするので、あくまで個人的な考えではありますが、ちょっとエントリ書いてみたいと思います。

wikipediaの解説などをご覧いただくと、日本では母子家庭がワーキングプアに陥りやすいとか、企業の人件費削減ってことがその発端の一因として書かれていますが、「ベーシック・インカム」って書籍に、こんな一文があります。

私たちは、労働能力を有するすべてを完全に雇用するというのは近代工業国家における過去の現象であるという認識に立って、労働と所得の関係がいかに新たなに秩序づけられうるのかを考慮しなければならないであろう。

ゲッツ・W・ヴエルナー著「ベーシック・インカム」序言より

先日紹介した町田智浩さんの著書「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」にはこんな一文が、

最低賃金を低いまま抑え、保険や保障や福祉の面倒をみない政府は、貧困層に中流化する生活的余裕を与えず、階級を固定化する。社会には最低賃金労働者が必要なのだ。工場はインドや中国に出せても、ウエイトレスやホテルの掃除などのサービス業はそうはいかない。貧乏国から出稼ぎ労働者を呼ぶか、自国民を貧乏にするか。

きつい文章ではありますけど、ここで書かれているグローバル化という事以前に、高度に工業化(自動化)が進んでいる世界においては、従来のように「働かざるもの食うべからず」という考え方で解決の糸口を見つけていこうとすると、どうにもどん詰まりになってしまうのが見えてくるような気がします。

つまり、今の世の中、政府としては失業率の数字が高くなって困るけどあからさまに政治介入の度合いを高めれば良いかというとそうじゃないし、企業の側でも儲けるかわりに雇用を創出しているって社会への貢献度をアピールしている側面あるわけですが、

非常に残念ではありますが、現在企業が本気になってもっている生産性をフルに発揮、IT技術などで従来の生産方法が機械に置き換えられるなど、さまざまな業種において自動化・効率化を進めたら、真面目、不真面目、学歴の高低、男女を問わず、一部の人にしか労働において余裕のある社会生活を過ごせる収入が得られなくなる可能性が大いにある(すでにそうなっている)ってことですよね。

わたしには華々しい経歴・学歴があるから大丈夫、、、、、いやいや安心できませんよ、どこもかしこも小さい政府とか言っている時代(麻生さんは中くらいって言ってましたけど)に緊縮財政をやっていく中で前述のように技術進歩は新規雇用を行わなくともその代わりを果たすだけのマシンが登場し、雇用・採用枠の縮小、すでにポジションを確立している人たちが引退するまで魅力的なポジションは空かず、、、みたいな事でこれまでなら仕事にあぶれるような事がほとんど起きなかったような人たちにもこういう不遇な事態が起きる十分可能性ありだと思います。(こういう場合はやはり人脈が物を言う?)

このような状況から、仕事に就けない、食べていけないのはあくまで自己責任ってことにしておくと、話としてはなんとな~~く筋が通ったような感じになるわけですが、労働能力の完全雇用というのは近代工業国家における過去の現象(理想)であるという認識を持った場合、いろいろまた???が頭の中に渦巻くのでした。

この話続く。

次回は「ベーシック・インカム」の中身について少し触れてみたいと思います。

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