法人が辿る人生
辻さんの「楽隠居する企業の役割」を読ませていただき、あても無くページをジャンプしていったら、「 悪とは言い切れない経営の「えげつなさ」」という記事に出くわした。
「 悪とは言い切れない経営の「えげつなさ」」で例に挙げられている英会話教室の事例はたしかに市場を開拓したかもしれないですが、明らかに一般消費者が不利益を被るモデルであり、この題材から、
だが、それまで授業料が高額だった英会話業界において、数量割引でグループや個人のレッスンの値段を下げるなど革新的な企業でもあった。実際に不祥事が起きる直前までは順調に成長しており、ビジネスモデルに不当性を感じるものの、経営では成功を収めていたといえる。根来氏は、「えげつない企業が業界の競争を促したり、業界の常識を破り新たな市場を作り出すことがある」と強調した。
↑このような主張をされているというのはちょっと凄いな、、、と思ってしまいました。(もうひとつ紹介されている事例のほうは成長が望めないモデルだと述べられているようですが、だから駄目という結論に結びつくのかはちょっと判断に迷う文章でした)
一方、辻さんが参照されていた元記事「企業の「成長という幻想」」のほうにはこのような記述があります。
ときどき、日本企業の戦略話を聞いていて、どーもしっくり来ない気分になることがあるのは、そういうことだ、と合点がいった。もう産業としては成熟産業なのだから、「成長、成長」とあせらなくてもいいんじゃない?少し前までは、団塊の世代がたくさんいて、どうやってその人たちを食わせるかということで苦労していた伝統的大企業も、彼らが卒業してもう手を離れた(完全にそういうことでもないのだが、一応・・・)のだから、もう楽隠居して、企業の寿命が尽きるまで、安定したキャッシュカウになったらいいんじゃない?と思うことがあるのだ。
ふむふむ、、、あらたな市場を開拓する「えげつなさ」をそのまま引きずってしまうと前述の例のように、最悪の場合、市場から退場するようなケースになってしまうけど、どこかの段階で楽隠居モードに入る(入れる)というのは大企業ではなくとも、1企業としての法人が辿る人生においての理想的な展開ではないのかな、、、と思った次第です。
わたしのような零細会社の経営者は少なくとも65歳、住宅ローンとか抱えてしまったらかなりもっと先までは仕事は続ける必要あるわけですが、現場を回していくという側面ではあと5年~10年の間に自分が表舞台から下がる場合にどうするのか、、、ということへの対処をもう始めなければいけないと考える機会がしばしばあったりします。
幸い現在一緒に頑張ってくれている仲間は20代の人ばかりですので、この仲間に会社を引き継いでもらうことが出来れば非常に嬉しいですが、無理やり会社を延命させるという事ではなく、方策としてはもっといろいろなパターンを想定しておかなければいけないと考えさせられたのでした。