最近のネット環境とお菓子の家
先日通勤帰りにあまりに暇なので、タブレットで動画サイトを見ました。見た動画は、架空請求先の電話番号に電話をかけて、相手とのやり取りをひたすら聞くもの。架空請求がきた場合は、相手をしないのがセオリーなので、そこに電話をかけるというものは怖いもの見たさで見るという感覚でした。
見た感想は至極当たり前ですが、「うーん。暇つぶしにはいいかもしれないが中身がまったくない」というもの。動画サイトに投稿されているものすべてが同じというわけではありませんが、このようなサイトは多く存在します。
話は少し変わり、翌日3歳の娘が食事前にお菓子をほしがっていたので、「ご飯を食べなければあげません」と諭しました。
そのときふと思ったのは、中身のない動画サイトとお菓子は一緒のようなもので、どちらもそのときはおいしいですが、基本的に残るものが少ない。だから、親は子供の体になるご飯を食べさせるよう諭す。ネットも同じようなもので、中身の少ない動画サイトを見るとその瞬間は楽しいですが、自分に残るものが少ないというもの。
しかし、ひとつ違うのはネットを見るのは大抵大人なので、どのようなサイトを見ていても、親が諭してくれることはない。また、自分が希望するものを検索すれば、好きなだけ同じようなものを見ることが出来る。
お菓子に言い換えると、お菓子の家に住んでいて毎日好きなお菓子を食べることが出来環境にある。また、閉じ込められているのではないので、自分の好きなときに出ていけるようなもの。
ネットの暇つぶしとして、自分の好きなサイトだけ見れば、子供がお菓子の家でお菓子を食べ続けるのと同じ楽しい生活を続けることも出来ます。しかし、その生活のみを続けていくと、自分に入る情報が制限され、考える力も衰えていってしまいます。
そうならない為には、お菓子のような瞬間の娯楽サイトだけでなく、ご飯のように自分のためになる情報も意識して入れていかなければならないと考えてしまいました。