食材名問題から考える「人は芝エビとブラックタイガーにお金を払っているのか?」
最近のニュースでレストランメニューの原材料名問題が多く取り上げられています。
その代表例として、芝エビとブラックタイガーの違いで盛り上がっていますが、ニュースを見ていて本質はそこにあるのか?と考えてしまいます。
そもそも、芝エビとブラックタイガーの違いが批判の原因になるなら、出されたものを食べた時点で批判が出るはず。また、芝エビとブラックタイガーの原材料費の違いが原因となるならば、これもお会計をした時点で、文句のひとつでも出るはず。
今回の問題は発覚までは誰もクレームを付けていない(ニュースになっていないだけでクレームを言っている人はいるかもしれませんが)ことがポイントにあると考えます。
上記の通り味やコストパフォーマンスに問題があるのであれば、その場で問題になっているはず。しかし、それがないということは、食べた時点では味もコストパフォーマンス的にも大きな問題と感じずにすんでいると考えられます。
では、何が問題の原因かか?私は「○○ホテルのレストランで芝エビを食べた」という感覚を裏切られたことだと考えます。
私は食べて芝エビとブラックタイガーを食べ比べても違いが分からない自信があります。そのため、自分でお金を払って高級なものを食べることはほとんどありません。
そんな自分が高級なお店で食事をしたとき思うのは「高級な店で高いものを食べているのででおいしいと思う」という感覚です。同じジャンルの料理でも、高級な店と近所の一般的な店で倍以上価格が違う場合があります。しかし、高級な店で食べたものが一般的な店の倍以上の価値を見出せるかというと、そうともいえません。
しかし、高級な店は立地もよく、内装やサービス、原価に違いがあります。それらを総合し「高級な店で高級なものを食べている」」という感覚をメリットと感じ、その分の期待を対価として高級レストランの料金は設定されていると考えます。
そのため、今回の問題は原材料や製造方法というものではなく、「ホテルのレストランに抱いた期待を裏切った」ことに原因にあると考えます。
ホテルの謝罪会見では、原材料や調理法、偽装と誤表示についての釈明が続き、社長辞任まで追い込まれましたが、本当の原因を考えれば、もう少し違った謝罪の仕方もあるのではないかと考えてしまいます。