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覆面をして対岸の火事を語る

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少し前、アルジェリアテロ事件対する、報道やそれに対するコメントを多く見ました。考えてみるとネットが普及する以前は、他人のコメントといえば報道か友人や家族から直接聞くものがほとんどでした。

ネットが普及した今ではまったく知らない人のコメントを見ることが出来ます。報道もテレビ局や新聞社などリリース元は確認できますが、誰が原稿を書いたかを確認することは難しいのが現状です。

そのような中で、違和感を感じたのが被害者の方の実名報道。

テロ被害者の実名報道については、日揮や日本政府が実名発表を控えている中、どこで調べたのか報道各社が実名を報道していました。

新聞には実名報道をした理由をジャーナリズム云々とか、被害者の方が生きた証とかという理由で掲載していました。しかし、この場合日揮が実名発表要否の意思を出していなければまだしも、日揮が実名発表を控えている中、勝手に実名を発表したのは明らかに被害者の方の意思を無視したものだと思います。

また、事実か怪しいところはありますが、Tiwtterに実名発表をした記者の名前を問い合わせたら、個人情報なので答えられないという答えが返ってきたというものも掲載されていました。

事件の報道はあくまで自分や自分の身内が関係するものではないので、どうやっても対岸の火事を語ることになります。しかし、対岸の火事を語るにしても、家事の被害者になった方の心情を無視した発表は行うべきでないと考えます。

対岸の火事だから自由に語る、そのうえ自分が誰だか分からないように覆面して語るようなスタンスで記事を書かれては、報道も個人がネット上に好き勝手なコメントを残すのと同じものだと思ってしまいました。

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