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ネット上の情報は性悪説で見るしかないのだろうか

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先日、Tiwtter上で偽の被災情報が流されたという記事を見ました。それに関連して、ネット上で誰が偽の被災情報を流したか個人を特定する情報まで流れていました。

被災情報をTwitter上で拡散することで、多くの人の目にふれリアルで助けてもらえる可能性があるという側面があります。情報を拡散する人も、簡単な人助けということで多くの人が拡散していました。

ここで、偽情報を流した人が悪いとか、安易に情報を拡散すべきではないとかという話をするつもりはありません。しかし、今回の一件をみると、ネット上に流れる情報というのは性悪説でとらえなければならないということを改めて感じました。

ちなみに性悪説という言葉を辞書で調べると、ただ悪という意味ではなく、はじめは悪であったが修行や努力を続けることで、善に変わると書いてあります。

インターネットというものは誰でも何の情報でも流せるフリースペースであり、そこには厳密なルールというものは設定されていません。そのため、偽情報や犯罪に使われるような情報も流されているのが現状です。

その前提を悪用したのが、今回の偽情報ツイート事件といえます。しかし、偽情報と分かると、こぞって偽情報を流した人物を特定し、一斉に攻撃をかける。個人情報までさらすのが良いかという議論はあるかもしれませんが、見方を変えれば偽情報を流したことによる罰が与えらたともいえます。また、これにより偽情報を流すことを抑止するきっかけになるかもしれません。少なくとも、今回偽情報を流した人は、この一件で懲りてもう偽情報を流すことはなくなるでしょう。

ネット上に流れる情報が正確なもののみで占められる。それは理想論の話。現時点では、ネット上に流れる情報を性悪説で確認し、自分が信じる情報は自分の責任で取捨選択しなければならないということを、今回の事件から改めて感じました。

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