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物事には理由がある(個人の整理・誰かへという訳でなく)

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現状に対する不満を意見として言うのは多いに結構。

でも、そこに至る経緯をきちんと理解して言ってますか?

また、その不満を解消するソリューションを、(例え人から稚拙と非難されようとも)自分で既に思い浮かべている、もしくは自分で思い浮かべるための努力をしていますか?

そりゃあ、元々完璧なものなんて何もないのだから、不満に思ったり、大いに文句を言いたくなることはあるでしょう。

また、対処療法として、その問題の解決を逆説で対応することは一時的には大いに機能するかもしれない。

でも、物事には理由があるんです。これはきっとどんなものにおいても。

その理由をちゃんと踏まえた上で、その理由は今なら無視していいものなのか、それとも、これから別の形で起こり得ることなのか、といったところをきちんと理解していないと、数年後、また同じことを繰り返すだけなんじゃないかな?と、自分は危惧しているのです。

一方、色んな可能性を全て踏まえようとすると、それはそれで歩みが遅くなってしまう。

だから、慎重、かつ大胆に、何を狙って何を捨てるか?が重要なんだと思います。

そこに成功も失敗もない。

あるのはただ、その選択に責任を持っていたかどうか?

そして、また新たにそこに向かおうとしている自分達が責任を持った判断ができるかどうか。

後で、「仕方なかったんだよ」と言い訳することになっても、その言い訳については全力で言えるかどうか、よく理解もせずに流されるだけになってしまってなかったかどうか。

そこに掛かっている、と思うよ、たぶん。

※自分の業務に関するある些細なことについてなんですが、自分の整理としてなんとなくの吐露。

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