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Novell創業者 レイ・ノーダの訃報

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レイ・ノーダ死去の報が舞い込んできた。 Novellの創始者,享年82才、10月9日ソルトレークの自宅での死去。  ご冥福を祈る。

1983年PC-LANベースのNOS(Netwaork OS)開発を目的にNovellは創設された。レイ・ノーダは、GEでプロコンの制御系システム開発の技術者で、LANの出現の機を見てNovellを設立した。NovellのNetWareは、80年代の中盤から90年代の中盤まで、NOSの業界標準として業界に君臨し、最盛期のシェア70%を誇った。日本には1990年進出し、ノベル株式会社が設立され、小生もスタート時から参画し4年間在籍した。その間、ノーダさんと時々にお会いした、穏健で質素な、しかし信念の人であった。既にNetWareは、過去の製品となってしまったが、NetWareを通じNovell(or ノーダさん)は、当時として非常に斬新な事業展開を多く実行し定着させてきた。現在それらは業界の常識となっているが、その源はNovellに有ると云って良いと思う。

■1990年の時点でノーダさんは、LANとWANの連携を次の展開に入れていた。当時のATTとの事業連携を考えていたっようである。Internetという言葉は、ARPAnetの限られた世界での話の時であった。

■NetWareはマルチ・ベンダ環境(今云えばOpenの世界)を最も積極的に、且つ完全にサポートしていた。そのためにHW・SWの相互接続性の重要性を示し、相互接続性保証を事業にした最初であり、現在の接続性保証事業の嚆矢である。

■サービスの有料化を確立したのもNovellであった。Novell認定の研修コース・認定インストラクタ、そして認定技術者による高品質の技術サービスである。名刺にCNE(Certified Novell Engineer)のロゴを持った技術者が最盛期には1,000人を下らなかった。MS社・Oracle社の認定制度の原型といっても言い過ぎでは無い。ある時、小生の「NetWareの高シェアがあるから、認定制度が実現できたのか?」と聞くと、ノーダさん「研修の認定制度があり、サポートの高品質が維持できたから、高いシェアが確保されたのだ」と回答が返ってきた。本当だろう。

情報産業界、時々に大きな変化点が有ったしこれからも有るだろう。1990年のノベル進出もその一つと思う。ソフトバンク社・大塚商会社等がNetWareを積極的に事業展開したのは、これらの会社の今日有るに大いに貢献したと思う。

今も、情報産業界も大きな変化点にいる。全ての点で利用のすそ野が広がっている。3年後・5年後の情報産業界の常識となる先駆けは何なのであろうか?

レイ・ノーダの訃報で改めて考えさせらる。  文末に再び、レイ・ノーダさんのご冥福を心からお祈りする。 

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