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触媒のように世の中のいろいろな人やものをつないで変化を起こしていきたいと思っています

個人的な思いを一般的なサービスに昇華することの難しさ

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今週、ネット上で話題になっていたstydygiftについて、以前「studygiftに批判が集まったのは、言っていることとやっていることが一致していないからではないか」というエントリーを書きましたが、その後、学費支援を求めていた坂口さんが、実はかなり前に大学を退学状態になっていて、復学できるかわからないことや、発案者が個人的に親しかった坂口さんを助けることを目的に始めたものであったことが判明しました。そのへんの事情は下の記事にまとまっています。

studygiftはなぜ暴走したか 「説明不足」では済まされない疑念、その中身 (1/2) - ねとらぼ
Webに爆誕した「studygift」という善意の塊の壮絶なオチ - conflict error

私自身ネットサービスの企画運営をしている立場で、今回の騒動に感じたのは、個人的な思いを一般的なサービスに昇華することの難しさです。

単に何がうけそうか、何が儲かりそうかというところから発想するよりも、自分自身が不便だと思っていることを解消したい、面白いと思ったアイデアを実現したい、自分の知っている誰かを助けたいといった個人的思いから発想したほうが、いいサービスを生み出せる可能性は高いのではないかと思います。ただ、その個人的な思いを、そのまま形にしてしまうと、今回のようなことになってしまうのではないでしょうか。同じLibertyというグループが始めたうつ通知サービス“うつっぽ”にも同様な危うさを感じます。

ネットサービスの場合、スピードを重視して、とにかく始めてフィードバックをもらい、試行錯誤して改良しながら進めていくというやり方は有効だと思いますが、やはり最初にリリースする時点で、単なる個人的な思いの表現ではなく、一般的に受け入れてもらえる内容になっているかどうかを考え抜いておくことは必要ではないかと思います。

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