自分ではどうしようもないことと、自分で変えられること
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「ほぼ日刊イトイ新聞」で現在連載している「ゼロからはじめるジャーナリズム」という記事を興味深く読んでいたのですが、その中で糸井重里さんが以下のように発言していました。
例えばぼくは、
「自分ではどうしようもないこと、
自分のちからでは選べないこと、
決められないことは、その人のせいじゃない」
ということについて、よく考えるんです。
ぼくはオランダ人じゃなくて日本人で、
ヨリスさんがオランダ人であるってことは、
自分でどうしたって選んで決められたことじゃない。
背丈もそうだし、髪の色もそう。
それでなにか不利になったり差別されたりするのは、
やっぱりいけないことなんだってことを、
人にものを伝えるときに、大事にしていますね。
これは、私自身もよく考えていることなので共感しました。その人自身がどうしようもできないことに対して、差別したり偏見をもったりすることがないように気をつけています。
また、自分自身のことで言えば、自分ではどうしようもないことについて悩んでもしょうがないので、自分ができること、変えられることを考えるようにしています。たとえば、私はもうすでに50歳なので、老化現象で視力が落ちたり、記憶力が落ちたりするのは、自分ではどうしようもないことなので、そういう事実を受け止めつつ、目をつかう仕事は短時間で集中的にやろうとか、覚えられるまで何度も繰り返し学習しようとか、自分ができることに焦点をあてるということです。
そういう意味で、自分ではどうしようもないことと、自分が変えられることをきちんと分けて考えることは大事だと思います。
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