若い頃、役職を目指せ!と言われ、役職定年になっても頑張れ!と言われるシニア。
最近、70歳までの就業を可能とするよう人事制度などを改正している企業が増えている、と言う話を先日ここで書いた。
Voicyでも話した。
それはそれでよいとして(就業機会を作るということであって、働くかどうかは個人の選択だし)、その時、同時に聴こえてくるのが、以下のような話である。
「55歳で役職定年し、役職手当がなくなります。60歳で今度は定年退職で給与がぐんと減ります。そんな中、人脈も知恵も豊富なシニア世代には、もっともっと頑張ってほしいのですよね。」
「だけど、役職定年とか定年で、途端に気持ちがなえてしまう人も多くて。新しいことになかなか挑戦しない、今までやってきた仕事だけを死守して、限られたことしかしない」
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70歳まで働いて欲しいのだから、55歳くらいで枯れては困るよ、ってことで、それはそれで私は大アグリーなんだけれど、ふと、こうも思う。
今の50代60代って、特に男性は若い頃、
「上を目指せ!」
「役職に就けるよう頑張れ!」
とひたすら外的キャリア(外から見えるもの)を追求するようハッパを掛けられてきた。
課長とか部長になって、給与も上がって、「外的キャリア」バリバリ人生を歩んできたところで、突然(でもないのだけれど)、55歳とか60歳の節目で、「いやぁ、職位なんてあくまでも役割。あなたに期待しているのは豊富な経験、知識、人脈、知恵などを使って、さらに新しいことも学びながら、やりがいを持ってイキイキ働いてもらいたいのです」などと励まされたりして、急にこれからは「内的キャリア」が大事と言われるようになってしまう。
若い頃は、「外的キャリア」志向を期待され、
中高年になると、「内的キャリア」志向になれと言われる。
これが、自身の考えでの変化であればよいのだけれど、なんとなく胡散臭く聞こえるのは、
「いやあ、下山の思考と言ってだね、これからは、内的キャリアだよ。つまり、自分の満足度とかやりがいを持って、楽しく働く。自分らしくありたいように働くってことだよ」
と、素敵な感じで外から言われるからじゃないかと思う。
自分が年を重ねた結果、思考が外的から内的に変化していくのなら、なんてことないけれど、他人にそういう風に言われたくはない、と思うものではないか。
55歳以上のビジネスパーソンにとって、頑張って働き続けてきた先に見えていたゴールテープは、どんどん先に移動されている状況で、そこへ来て、「外的キャリアより内的キャリア」と他人に言われるのは、愉快なことじゃないような気がする。
シニアの活躍というのは、どう支援するのが正解なのか、私も当事者の一人としてずっと考えているのだけれど、はてさて、どうするのがよいのかなぁ、と今だに「これ!」が見つかっていないのである。
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最後?の悪あがきで、国家試験を受けてみた、という話をしています。以下、第二弾。(全部で4回シリーズの予定です)