「管理職になりたくない」気持ち、わかるんですよね。
「最近の若者は、管理職になりたくない人が多い」とか
「管理職に興味ない人が多い」とか
色々な企業で悩みを聴いたり、ネットでもそういう話が流れてきたりするけれど、
それ、とてもよくわかる。
明らかに今の管理職、やること多すぎ!
配慮すべきことも多すぎ!
私が新社会人になったのは1986年、昭和61年だが、外資系に入ったけれど、結構な日本企業で、上司はそれなりに権限だけでなく、なんというか、偉そう(失礼!)にしていた。
今だったらパワハラ認定されるような指導も数々あったし、あ、セクハラ認定される発言も度々あった。
指示は不明確で、質問してもちゃんと教えてもらえなかったりして、それでも何かやっていくとダメ出しされたり、苦笑いされて受け取ってもらえたり、力を持っている管理職は、今の管理職と違って、自由にふるまっていた(ように思える)。
組織全体を動かせばよくて、個々人の気持ちとか都合とかモチベーションなどに配慮することはめったになく、モチベーション低下は、部下自身の問題であって、管理職がどうこうすることでもなかった。
仕事が終わらなければ無限に残業して、土日の出社して、時間かけて何かすることが大事だと思われていた感もある。(景気も良かったので、残業代も沢山出ていたしなぁ。)
とにかく、「いいからやれ!」で済んだ時代でもある。
それが今はどうだ。
個を活かすマネジメントが大事と言われ、組織をふわっとまとめて動かすのではなく、部下一人ひとりをよく見てよく話を聴いて、それぞれの良さが生きるように、それぞれの気持ちとか想いが大切にされるように関わっていくことが求められる。
昭和と平成前半の上司との面談は、9割上司がしゃべっていたが、今の1o1は、部下に8割以上は話させろ、と言われている。傾聴、共感、理解しなければいけない、と徹底的に訓練される。
働き方改革、女性活躍推進、高齢者活躍推進など、様々な問題に向き合い、ハラスメントを避け、ハラスメントと思われないような言動をいつも考え、それでも、「さっきの言い方ってちょっとひどいと思います」などと言われると、たとえ、ハラスメント認定されることはなかったとしても、部下のほうがなんでもハラスメントと言っているだけだとしても、言われた管理職自身が傷つく。
もう、最大限に鈍感力を発揮しつつ、かといって、部下には超絶敏感でないと、管理職なんかやっていられない。
さらに、完全なマネージャってほぼいなくて、たいていは、プレイヤーも兼任している。
こんなに八面六臂の活躍を求められるのに、管理職手当って思ったほど多くなくて(たぶん)、権限が与えられて、自分がやりたいことも沢山できるだろうなと思うとそうでもなくて(たぶん)、いやあ、管理職なんてやってられねぇーと思っている人も結構多いんじゃないだろうか。
それを見ている若手も、「管理職が幸せそうに見えない」「あんな顔して仕事しているのを見ると、自分はあのステージは行かなくてよい」と思うのも無理はない。
今の管理職は、やることが多すぎる。
配慮すべきことが多すぎる。
もう少し管理職から様々な機能を引きはがして行かないと、苦労三昧の役割になってしまう。
AIも発達してきたし、いろんなテクノロジーも駆使して、
何か、管理職が本来の「他者を通じて成果を出す」「仕事をうまく進める」ことに注力でき、ひとりではできない大きなことを組織を使って成し遂げる、ということに集中出来たらよいのにな、と思う。
・・・というわけでずいぶん前に、「新任管理職の苦労」を本を参考に解説した回があったなーと検索して、出てきたVoicyをどうぞ。
新任管理職がこれを聴いたら(あるいは、参考にした書籍の該当箇所を読んだら)、涙ちょちょぎれるかもしれない。
管理職、もうちょっと楽に、そして、楽しくしてあげたいなと思う。
管理職だからこそできる仕事、達成できる大きなこともあるはずだ。
ただツライのではなく、管理職だから実現した!という大志が若手にも伝われば、若手でも管理職になって、これを成し遂げたい、という風に考えることもできるかもしれない。
いやあ、ほんと、各社、苦労されているの、わかる、わかる。
管理職、無理せず、でも、頑張れ!