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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

新入社員研修で私が心がけていること④ 厳しくはあっても、怖くしない

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以前、ある企業の2-3年目くらいの社員の方とお話していたら、「新入社員研修はとても印象深い」「新入社員研修の講師のことはよく覚えている」といったことを口々におっしゃるので、どういうことかと、より深くインタビューすると、どうやらその講師はとても怖かった、ようなのです。

「講師が実はとても怖かったから、忘れようがない」
「あれだけ怖ければ、講師の顔は忘れない」

と言いながら、付け足すように、

「もちろん、勉強にもなったんですけどね」

とおっしゃる。(ここは大人の対応というか、気遣いを感じます)

こういうの、いかんなぁと思うわけです。

講師のことなんて忘れてしまってもよくて、学んだ内容のほうが残っていてほしいわけで。

恐怖で支配して、その場で何かができても、それって条件反射みたいなもので、たとえば、納期に1分でも遅れるとすんごく注意され、どう対応するのかグループで話し合いをさせ、その結果を20分後に再度持っていらっしゃいー!ってなことをすれば、もちろん、新入社員は、真っ青になって善後策を話し合い、講師に報告しに来ますが、それって、怖いからやっているだけに過ぎないのではないかしら。

モチベーションに、「接近」と「回避」という考え方があります。

こうなりたいと思って行うのが、接近。

これは嫌だと避けたいと思って行動するのが、回避。

こうなりたい、という接近の場合は、モチベーションが持続しやすいけれど、

これは嫌だ、という回避の場合は、避けたい要因がなくなれば、行動も消滅しがち、とかなんとか。

わかりますよね。

怒られたくないから、やる、とか、やらない、というのは、「怒られたくないから」なので、「怒られないならやらなくなる」可能性もあるのです。

「こうしたいからする」「こういう理由で行う」「これをすると自分が嬉しいからする」などと意味付けができていたり、納得感が高かったりすれば、誰が言ったから、ではなく、行動そのものの持続性が高くなる。

外発的か内発的かの違い、と言ってもよいかもしれません。

講師は、時に毅然としている必要はあるでしょうし、QCDやマナーなど内容について厳しいのはよいのですが、怖くする、というのとは違う。

恐怖を感じさせながら、「講師が怖いから、気をつけよう」と思わせるような教育はもう「昭和」のやり方だと思うのですよね。

ちょっと前にビジネスマナーの講師がよくTVに出ていて、受講者を罵倒しながらマナーを教えるというシーンがよく映し出されていましたが、動物の調教じゃないのだから(動物だって恐怖で支配してはいけないけれど)、あんなふうに学ぶマナーに心がこもると思えないのですよねぇ。

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「学習の動機づけ」についての本。

左は新書です、読みやすい。

右のARCSモデルの本は、ちとアカデミックな本(ビジネス書ではない)ので、読むのには時間がかかります。

 

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