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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「教える」と「育てる」は違うんじゃないか

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2003年から各社のOJT制度支援をしてまいりました。

10年前と言えば、各社が、「現場にお任せ」のOJTから、「人事部、人材開発部主導で、仕組みとしてのOJTを手掛け始めた時期です。

このころ、若手社員の育成指導にあたるOJT担当者向けに「目標の立て方、教え方、育て方、フィードバックの仕方」などノウハウを教えるワークショップ形式の研修を提供すると、「僕たちの時代は、こんな制度なんかなかった。黙って先輩の背中を見て育ったもんだ」とか「イマドキの若者は、ここまで丁寧に接していかないと育たないのか」とか「若手に甘すぎるのでは?」といった声が多数挙がったものです。

「いやいや、働く大人を取り巻く環境はずいぶん変わったのですよ。若手のせいとは限らないのですよ」と年長者自身の意識改革をうながすような働きかけもしてきました。

さて、10年経って、「若手を育てることは大事」「OJT制度というものを作ってある程度システマティックに育てることも大事」という考えは現場に浸透してきたように思います。

ああ、よかった、と安心している場合ではなく、ここへきて、二つの新たな課題が気になり始めました。

一つは、育つ側の「若手」の問題。

企業に入社し、OJT制度が当たり前のように存在すると思っている世代。「OJTで何を教えてもらえるのですか?」「OJT担当者の先輩は私たちに何を提供してくれるのですか?」とつい受け身になっていく傾向がある・・・らしい。

うーむ。育てる側にフォーカスしてきた結果、育つ側の意識を少し「受け身」にしてしまったか・・。(この件については、また別途考察します)

もう一つ。これは、「育てる側」の問題。

「教える」ことがすなわち「OJT」になってしまっているケース。

「業務のやり方を教えました。あれもこれも進め方を教えました。やり方を教えました。だから、もう教えることはなくなりました。以上で、OJTの任務は終わりです」

と考えてしまうOJT担当者、あるいは、管理職がいらっしゃる模様。

「それは、業務の仕方を”教えた”だけで、人を育てているわけではないですよね?」と突っ込んでも、「業務ができるようになれば、それで十分じゃないですか」と思ってしまう方もおいでのようです。

うーむ、確かにそうかもしれない。ある面では、業務の手順を教え、若手がそれをできるようになれば、たくさん覚えたね、よかったね、と思える。

でも、若手の育成ってそれでいいのだろうか?

業務手順を覚えて、その点で一人立ちしたら、それでいいのだろうか?

私が主宰している「OJT茶話会」というコミュニティがあるのですが、そこで、ある方がこうおっしゃっていました。

「私たちは、作業者を作っているわけではなく、全人的に人を育てているのです。作業ができるようになる、ということと、知識・スキルだけでなく、価値観とか考え方とか信念も含めて、”人”を育てているっていうことを忘れてはいけない」

そうなんですよね。

ただ、難しいのは、

●業務を教える・・・これは、成果が見えやすい。一人で放っておいてもできるようになった、うん、よかったね、合格!と言いやすい。

●(作業ではなくて)仕事ができる人に育てる・・・何をもって「育った」というのか、難しい。判断しづらい。定義もしづらい。

ここが、「若手育成」の難しいところなんだろうなぁ・・・。

教えるだけではなく、育てる。

教えるで終わりではなく、全人的に育てる。

これが、働く大人の現場での「成長支援」の目指すところなんだと思うのだけれども。

ゴールの定義は難しい。いや、ゴールはないのだけれど、目標の立て方が難しい。

若手もそこを勘違いしてはいけない。

「あれこれ教えてもらって、できるようになりました。一人前です!」と言っているけど、「あなたは、まだ”作業”ができているだけ、だからね。”お仕事”ができているわけではないから。”お仕事”というのは、”作業”ではないからね。自分で考えて、意味づけして、工夫して、あなたの”作業”を”お仕事化”するのは、あなた自身だから。そこができて、初めて、成長した、と言えるのだよ」

なんてことを若手を集めて指導されている方もいらっしゃいます。

自分で考え、創意工夫しながら、”作業”ではなく、”お仕事”にしていく。なるほど。それができるようになることをOJTは目指すべきなのでしょう。

だから、「教えることがなくなった」からといって手離れするのではなく、「育てるフェーズ」へシフトしていく必要があるんですね。ふむふむ。

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